Festina Lente2

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模擬授業

子どもがどのような形で性を学んでいるか、とても気になる。
小学校3年生の娘の母親として、現場にある人間として、
余りにも知らない事が多過ぎる、この世界。
とにかく小中高の先生方がどのように取り組んでいるのか、知る。
この絶好の機会が模擬授業。


何でも、性教育を教えるなという考え方の人がいるらしい。
人の子の親ではないのか、わが子の未来が心配ではないのか、
疑問に思ってしまう。それとも自分の知らないことを子供が知ってしまうと、
変な恐れを抱いているのだろうか。だとしたら笑止千万だ。
私が子供の頃、梅毒や淋病という言葉を聞いたことはあっても、
エイズHIVという言葉を聞いたことは無かった。


時代が変わっているのだ。知識を知恵と同時に持たずして、
どうして自分も他人も尊重できる、ものの見方考え方が身に付こう?
それとも親としての全幅の責任をもってして、
未来永劫背負う形で、万全の家庭教育を施す自信があるとでも?
私にはそんなこと、できやしない。専門家に丸投げをする「逃げ」も許されない。
大人はきちんと知るべきなのだ。自分と他人との関係の為に。
子供はきちんと学んで大人になるべきなのだ。
何故、性の問題は命の問題、避けられない問題、人間関係に基づく、
コニュミケーション、もとい人権問題だと何故教えてはいけない?


やれ、心の時代だ、癒しだ、自分探しから自分作りだ、開かれた学びだと
キャッチフレーズは横行する。イメージ戦略だけで、学び終えた気持ちにさせる。
その小ずるい小手先の蜃気楼に誤魔化されていては、危うい。
学力・成績だけが自己肯定感を支えるのではない。
親子・友達・恋人・夫婦、先輩後輩、上司部下、既知未知、
いずれの人間関係にも、自分の性が密接に関わっていることを、
あらゆる状況、人間関係、コミュニケーション、自己表現・他者理解、
その背景には性の問題が横たわっている。
自分、そして他者の性をどのように受け止めるか。


もはや、学ばずして既成社会の歪みを刷り込まれた形で生きていく時代ではない。
少子化と騒ぐが、国土に見合った人口を本能的に必要としなければ、
環境を守ることはできない。ましてや社会が弱者に冷たく、
国家百年の計である教育をないがしろにし、憲法9条さえもいじくろうという、
愚かしい方向に向いていて、安心して出産・子育てなぞできるものか。


そんな思いで「生と性とのリレーション学習」の一環の中での
エイズ・家族とともに」という小学生6年用の模擬授業を見学。
丁寧に準備された流れの中で、それでも難しい学習内容。
参加者は小学校6年生になったつもりで、授業を受ける。

エイズ感染爆発とSAFE SEXについて話します

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この教材は、健康観・人間観・労働観・戦争と平和・心の2面性・部落差別、
など小学校5年からの流れを受けて、「AIDSに学ぶ」
最後は自分の生い立ちを振り返り、卒業式に向けて自分を振り返るという。
かなり骨太の教育観をしっかり持っていないと翻弄されそうな授業内容。
この総合学習の内容を、地域理解と共に行うというのだから凄い。
教科教育をこなし、このような内容の教材研究をする熱意を持つ、
小学校の先生に教えて貰う児童・生徒は幸せだ。


何故なら普通はお仕着せのマニュアルをこなすだけで精一杯。
対外的なカリキュラム・レジメは書類上作れても、実行は別問題。
3年生の娘の授業内容は、1年生の時と違って全く見えてこない。
娘がどのように成長しているのか、見えにくくなってきている中学年。
学力的な9歳の壁、心身の成長を支える知識と知恵。
親はどのように対応していけばいいのだろうと、現場から振り返る。


性教育は10年前と比較して、ジェンダー・バッシングと同時に大きく後退。
憲法改正の動き、自衛隊の国外派遣、教育基本法の改正、
誇大妄想ゆとり教育のお陰で国民の学力低下、先進国から後進国へ。
予防注射任意のせいで感染症輸出国、HIV感染症増加国。
ワーキング・プア増加、格差拡大。色んなことが頭の中で点滅。
日本って明るい流れが無い国かと思ってしまう。


アメリカの大学で公衆衛生学を勉強している大学生が、
参加してアメリカでの性教育を少し教えてくれた。
文化の違いはあれど、凄いなぁと思う。ちなみに、
HIVの感染経路としてレイプが入っているあたり、お国柄。
日本では小中学校で、その内容はきっと教えられないだろう。
個別に質問があれば別だが。

性と生の主体者としての学習―青年期と性 (新版 人間と性の教育)

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午後は「性教育とカウンセリング」の話を聞く。
こちらは日常の仕事の一部、ボランティア活動との関連上。
でも、模擬授業で話を聞けば聞くほど、親としての自分が未熟で、
仕事人間を傘に着て子供を犠牲にしているのではないか、
娘ときちんと向かい合えていないのではないかと、気になって仕方が無い。


娘は何をして昨日今日過ごしているのだろう。
親離れ子離れするにはまだ早いのに、アンバランスな日常を強いている、
その後ろめたさが、夏の日差しの濃い影となる。
心の膿を溜めがちな思春期、棘を尖らせる思春期。
その入り口にいる娘を思い、自分を振り返る。
♪青春時代の真ん中は、胸に棘刺すことばかり 


模擬授業、グループ討論、親子の負の連鎖の話題。
否が応でも仕事を思い出さざるを得ない。
熱気高まる教室内、見えない出口を求めて彷徨するのではなく、
支え合い、学ぶ為の連帯の重要性を実感。
ただ、その実感は私の皮膚に張り付いただけで、
姥皮の如き装い。どこまで本当の自分なのか。
疑心暗鬼になりながら、それでも刺激を受けたことには変わりなく。
外はもう夕日、今日はこれにて。

命を大切にする性教育は誰でもできる (知的授業力アップ提言集)

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これでいいのか!性教育

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