Festina Lente2

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二分の一成人式

小学校4年生、最後の授業参観。幸い仕事を切り上げ出席可能に。
周りの方、感謝感謝です。通院・出張・授業参観、理由はあれど、
仕事を休み抜けてしまうと、自分もしんどいが周囲にも申し訳ない。
そんな中、経験者の同僚は笑う。「二分の一成人式は行ってあげなくちゃ」


私たちの頃は「二分の一成人式」なんていう言葉、なかった。
いつからそういう表現が取られるようになったのか。
そういわれてみれば、子育てをして10年、一つの節目。
時折抱っこをせがんだり、突進して抱きついて来たりする、
まだ私よりも背が低く、柔らかい頬の娘が、
もしも高校卒業後下宿でもして家を出れば、
一緒に暮らす時間は10年も無い。
もっとも両親である私と家人が、元気でいられる時間も、
他のおうちのお父さんお母さんよりも少ない。


高齢出産の初産、最初で最後のお産、唯一の子供、
待ち望まれて生まれた子供、何かと期待されすぎて大変な娘よ、
「友達が出来ない」「学校が面白くない」など、
マンモス校での不満も、いじめやけんか、当たり前の波風、
何とか乗り越えてここまで来たね、娘よ。
どこのおうちも「かわいい我が子」の姿にウルウルとなるのか、
と思いきや、何だか他の保護者の方々、教室にも入らず、
席にも付かず・・・何故?


隣市に住む同僚の話とは異なり、体育館で行うような賑々しいものではなく、
各HR教室での授業参観としての、二分の一成人式
始まりの歌を歌って、挨拶があって、また歌があって、
一人一人が親に対する感謝の言葉と自分の将来の夢を語った。
1人1分も無い持ち時間だが、全員分となると結構時間が掛かる。
さて、昨日写真を貼っていた原稿を読むのかな?
あれ、それはもう教室の後ろの壁に貼ってある。
じゃ、かーちゃんの知らない原稿があるんだね。
楽しみ・・・。



こうやって教室内を対面式に見渡すと、みんな随分大きくなった。
小学校1年生の時の初めての授業参観の時は、
近所の保育園・幼稚園の先生方まで見に来てくれて、嬉しかった。
先生方が卒園生を気に掛けてくださっていることと、
ほんの少し前まで毎日顔を合わせていた先生方に久しぶりに会えて、
ただただ嬉しく、子供達のキラキラした1年生ぶりが眩しく、
かーちゃん暦7年目に突入した小学生1年の母は嬉しかった。


あれから時間は過ぎて、目の前に高学年5年生がぶら下がっている。
本当に、10年も生きてきたんだ、子供達。
何だかそれだけで凄い、頑張ったね、みんな大きくなったねと声を掛けたい。
クラスの右端の女の子、左端の男の子、どちらも保育園の同窓生。
あの女の子は赤ちゃん時代からおっきくて、運動が得意で、そのまま。
あの男の子はちっちゃくて、いつまでも赤ちゃん赤ちゃんしていたのに、
将来の夢は柔道選手と語る、ごつごつした感じの子に変わっていた。


女の子達の夢は圧倒的にお菓子屋さん(パティシエ)と、お花屋さんが多い。
男の子は殆んどがスポーツ選手。サッカー、野球、テニス、剣道、柔道。
そこまで偏るかと思うくらい、同じ将来の夢。
でも、昔々の私たちの時代のように、「将来はお嫁さん」なんていう子はいない。
これは教育の成果というべきか。時代の変化というべきか。
当時、「作家(詩人)か考古学者になりたかった」私は、
夢とはかけ離れて地味な仕事。一時期はお医者さんとも言ってたっけ。


1人だけ、「インフルエンザに罹った時に看病してくれたお母さんのように、
将来は看護婦さんになります」と語った女の子がいた。
でも、医師やパイロット、教師や芸術家、そういう未来を語る子はいなかった。
で、我が娘はというと・・・
「ピアノや水泳のお迎え有難う・・・(自分の自転車で行ってくれよ)」
「お母さんの料理ですきなのはポトフ・・・(手抜き料理の母だとばればれ)」
「将来は編集や記者の仕事に就きたい・・・(『ウェルかめ』の影響)」


なんとTVに影響され易い娘よ。
その他大勢と横に同じくではなくて、違っていた点では認めるが・・・。
『とめはね!』を見れば書道を習ってもいいなと言い、
チーム・バチスタの栄光』を見ると、お医者さんもいい職業だねと憧れ、
うーむ、そういう意味では君って健全な子供だね、影響され易くて。
少しませていて大人のように見えるけれど、やっぱり子供。
自分の夢には憧れのモデルが必要という王道を突っ走っているなあ。


他のクラスではまだまだ続く二分の一成人式なのに、我がクラスはもう解散。
ちょっと早くはないですか? え? 最後の懇談会もなし?
残っていたお母さん方も拍子抜けした感じで去っていく。
もっとも自分の子供の出番だけ見て、途中から帰る保護者も多い。
みんな仕事を抜けて来ているものね。
それにしても、終わるの早過ぎじゃ。


新任の先生にしてみれば、いきなりギャングエイジの4年生。
1年間大変だったと思う。娘の言葉を鵜呑みにすれば、
「男子は舐めてかかって、先生の言うことなんか聞かない」だそうだ。
小学校は全教科を教えなくてはならない。自分だったら?
娘の宿題もろくに見てやれないような、ほったらかしで?
年度末の大きな行事、二分の一成人式の企画・用意は大変だったろう。


それにしても、保護者会というのは機能していないのだな。
顔を寄せ合い、話し合ったり意見を出したり、
最後にそういう時間をも持たずに、あっさり終わってしまう。
それでいいのかな。何だか違和感。
子供を持って子供のいる生活のありがたさも大変さも知り、
保育園や学校を通して繋がりが出来・・・と思っていたけれど、
この希薄さ、それは私自身の関心の薄さ、思い入れのなさ、
小学校に寄せる思いの希薄さに帰するものなのだろうか。


確かに、過去「小学生」だった頃の思い出を紐解くと、
学校に対して、いい思い出なんて本当に少なくて、
周囲に上手に溶け込めないひよわな子供だった自分を
哀しく思い出してしまうのだけれど・・・。
過去は変えられないし、娘は自分とは違う。
生きている時代も考え方も・・・。
でも、10年間生きている時間を共有できた。
お腹の中に宿した時から今までを。


そのことに感謝しながら、久しぶりに手を繋いで帰る。
一緒に郵便局に行き、進学資金について話し、
早めの夕食を一緒に取り、かーちゃんは勉強会へ。
ほんのひと時、親らしい時間。残りの自分は、
一体何のために駆けずり回って時間を消費しているのか。
ちょっとわからなくなりながら、夜。


大きくなった娘、大きくなった娘。
それに対して自分は?
自分自身は?
増えたのは体重だけじゃ駄目じゃん・・・。

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こども論語塾〈その2〉―親子で楽しむ

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