Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

上田秋成とボストン美術館展

仕事の関係で上田秋成展をじっくり見る。
上田秋成というと『雨月物語』ぐらいしか知らない。
文学史にせよ、江戸時代で習うぐらいで、
好きな人には怪談話の種本程度の認識。
私自身、小学校時代の小学館の少年少女世界の名作文学、
日本文学編で読んだっきりだ。


それでも、奇想天外で雅び、恐ろしくも哀しい物語に引き込まれ、
忘れることのできない強い印象は、いまだに消えることは無い。
『菊花の契り』では義兄弟の強い心の絆を
吉備津の釜』に演技でもない不幸な結婚を恐ろしく思い、
『夢応の鯉魚』には伸びやかな水の中の世界、
『白峯』では西行崇徳上皇という人物名を覚え、
『仏法僧』と鳴く鳥に興味を持ったものの歴史に疎くて今ひとつ、
『蛇性の淫』ではねっとりとした蛇のような執念深い愛、
浅茅が宿』には報われたのか何なのか、哀しい妻の愛、
『青頭巾』の僧が鬼に化す世界と、悟りを得られぬ逡巡、
『貧富論』は子供には余り面白い世界ではなく・・・。


当時読んだままの印象は長じて後、多少は変化したものの、
第一印象の影響は大きく今に至る。
題材を漫画に用いた木原敏江の作品群も好きだが、
実際は当時の小学館の世界の名作文学の挿絵もかなりの迫力、
怪談話には挿絵の影響力が甚だ大きいのだと実感。


その昔、文学少女だった頃の楽しさを心に思い浮かべ、
ただでさえ猛暑でうだるよな夏の京に再び赴いた私。
ただし、今回思い知らされたのは上田秋成その人の一生、ひととなり。
ありのままを伝えるといってもあからさまに斜視の肖像画
疱瘡で不自由になっていた指、それ故、筆の持ち方も人とは異なり、
筆跡に影響したであろうこと、そればかりか、その生い立ち。
音声ガイドと展示内容をおもむろに見ながら、
今回初めて知ったことばかり。


父親のわからない母親の私生児、4歳で捨てられ、養子先で養育され、
教育を付けて貰い、商売を覚え、俳諧に親しみ、国学を学び、
多くの文人と交わるも、火災で身代を失い貧困に喘ぎ、
妻に先立たれ、失明し、治療によって片目だけ光を取り戻し・・・。
その生涯は、幼い頃から苦労の連続、先天的後天的な不自由を抱え、
自分なりに精一杯生きてきた一人の人間、
逞しくも哀しい一人の文学者の生き様を垣間見た。


ある意味、江戸時代は親が養育せぬ子を受け入れる家庭があり、
里親はしっかり子育てし、それなりの教育を身につけさせた。
生きていくために必要なことを教え一人立ちできるように、
江戸時代の養育システムや養育観が存在したこと、
生得的なものであれ、後天的なものであれ、障害を持つ者を受け入れ、
生活可能な社会であったことが新鮮な驚きだった。


ちょっとした外見的な違いも心無い指摘を受け、
普段は目立たないことも何かの折には引け目や差異となり、
心に幾つもの鬱屈したものを折り畳んで生きている場合も少なくなく、
ましてや妻に先立たれ年老い、目も不自由で・・・、
けれどもちゃんと医療面、衣食住の面で何かと心配してくれる人がいる。
そういう上田秋成の交友関係はもちろん、人と人の繋がりのあったこと、
彼の人間的な魅力がそうさせたのか、社会が鷹揚であったのか、
同時代人との交流の中で年老いてなお精力的に執筆活動を続けた秋成、
その人の後ろ姿を見せて貰ったような、センチメンタルかもしれないが、
胸が詰まる思いのした展示内容だった。


風流を極めようと俳句を嗜むも、生活の片手間に磨くべきものを、
一生のものに思い定めた芭蕉に対して批判的だったこと、
本居宣長との国学論争で負けて落ち込んだこと、
壮年中年で身代を火災で失ったこと、
妻の死後、その隠れた文才に気づき驚いたこと、
多くの画人と交流し、絵の傍らに書を書き、
今で言うならばコラボレーションの達人だったこと。
今回は本当に盛り沢山の展示で面白かった。


号は「無腸」。蟹を意味するのだそう。
「内は柔らかいが外は固い」「世を横に歩く」そんな意味を込めたとか。
色々あって世の中を斜めに見たくもなるだろうけれど、
終(つい)の棲家の墓石までも蟹の形をしているそうな。
徹底したユーモアというか、諧謔というべきか。

現代語訳 雨月物語・春雨物語 (河出文庫)

現代語訳 雨月物語・春雨物語 (河出文庫)

ボストン美術館肉筆浮世絵 (第1巻)

ボストン美術館肉筆浮世絵 (第1巻)


そのほかに銅鏡、その鏡として再現された銅鏡、
新しく収集された収蔵品、色んな

余韻に浸りつつ、七条から三条へ向かう。途中、『陰影礼賛』で有名な
わらじや』の「う雑炊」でも食べたいものだと思ったが、
昼食に6千円以上も予算があるわけもなく。
さて、ボストン美術館展のためにやってくれば、午後も日が傾き始め、
外に並ばずとも館内には入れたのは重畳重畳。


会いも変わらず凄い人出だが、午前中の上田秋成の余韻か、
西洋の名作にいつも以上に心を動かされない。
一つ一つが瞬きしているように、チラチラと通り過ぎていく感じ。
何というのか、久しぶりにあったのだけれど、
今日はそれほどゆっくり話をする時間が無いからまたね、
そんな感じで多くの絵の前を取りすぎていく感じなのだ。


古い絵、やや新しい絵、知っている絵、初めて見る絵、
美しい、静謐な、明るい、寡黙な、物おもわしげな、
様々な表情の色合いの絵を前に、あっという間に時間が過ぎて、
何だかいつもと展示の仕方も違う、御土産物を売る方法も、
葉書は一枚ずつ透明フィルムに包まれているし、
モネの絵を参考にしたメイクアップ商品まで売られている。
バッグやその他、雑貨も。画集の表紙まで色々選べて・・・。


異国を訪れる楽しさのような展示というよりは、
それこそ画集をめくるような雰囲気、
随分大層な肝いりだったのに、見てみると何だかあっけない。
どうしてこんな風に感じてしまうのか、ボストン美術館展。
閉館時間ぎりぎり。あーららら。
よたよたと(颯爽と歩けないのが辛い)歩いて駅へ。
これからまだ一仕事残っている。


怪奇ものの文学作品で見知らぬ世界、古の時代の扉を開く。
一人の目の不自由な老人がおぼつかない足取りで歩いている。
しかし、話題は自由闊達、如才ない。
そして、西洋の絵画をおもむろに眺めて呟く、
色が盛り上がって踊っているなと。
・・・夢? 転寝の夢? 電車が大阪に着く。
乗り換えて、さらにもう少し。
これからまだ一仕事残っている。
第三木曜日の夜、いつものこと。


油絵よりも何よりも、墨色の穏やかな文字や絵が思い浮かぶ。
暑い暑い夏の日、世の中を眇めに見て歩く男が一人。
それは、陽炎の見せた夢さ。
東洋の蟹歩き。ボストンの塀を乗り越えて行った・・・。

雨月物語の世界 上田秋成の怪異の正体 (角川選書)

雨月物語の世界 上田秋成の怪異の正体 (角川選書)

胆大小心録 (岩波文庫)

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