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子ゆえの闇

「人の親の心はやみにあらねども
      子を思ふ道に惑ひぬるかな」藤原兼輔


仕事人間でコミュニティに馴染めていないぎこちなさを
親子で体感した翌日、早速リサーチ。(実際遅いのだが)
超高年齢出産というのは、何が辛いかと言うと、
子育ての仲間を見つけるのが難しいという事。
同年齢の仲間は高校生大学生の親が殆ど。
職場で、子供会の話など聞いたことが無かった。


積極的に調べてみようともせず、どこも同じだろうと
たかをくくって、昔のイメージで動いていた自分に呆れる。
同僚4人に訊いてみたら、1人しか子供会に入れていなかった。
役員が回ってくる鬱陶しさ、煩雑さで最初から入れない。
地域の政治団体との関係ができるので、行事には行かせたくない。
引越しの関係で入るタイミングを逃したまま。
近所の遊び友達、きょうだいがいるので遊ぶ相手に困らない。
住んでいるマンションは土地の自治体活動に参加するのが条件で、
入居可能だった地元専用集合住宅だ、などなど・・・。


どうやら、我が地域は町内会加入=子供会自動加入。
新入生歓迎会に小学校入学名簿から拾われて、
お誘いの行事に出る出ないは任意だが、もしもの際の保険は
加入時に掛けられているという。
ただし、役員をやる(こなす)となると、
地域にそれなりに密着した人間関係が必要。
その結果、従来の土着のというか、ジモティが中心。
よそ者では切り盛りできないし、現実的に土日の活動に
動ける人間で無いと町内会自治会子供会は成り立たない。
平日に活動しているのは、老人会ぐらいなもの。


こういう組織の在り方は地域で異なり、
その結果、同じ市内でも町が違えば、システムも異なる。
会自体も、地図上の町ではなく昔の村の範囲が基準だったりする。
入会基準も様々で、住民は自治会や町会、子供会に
当然入っているもので、何か手伝えるのなら少しぐらいは
顔を出すのが当たり前かなという感覚は、今日見事に覆された。

地域分権時代の町内会・自治会

地域分権時代の町内会・自治会

新しい公共空間をつくる―市民活動の営みから

新しい公共空間をつくる―市民活動の営みから



子供会や町内会自治会に最初から入らないという選択をして
生活している同僚は多かった。
土日が潰れることが多いこの職場、責任を持って役員や
お世話係を引き受けることは物理的に無理な部分が多い。
中途半端に引き受ける、関わるぐらいならば、
最初から全く関わりを持たないという姿勢、スタンス。
それは後ろめたいものでも、
引け目を感じるものでも、何でもないらしい。


というか、そういう町内会や自治会の組織、
子供会に顔を出すこと自体が珍しい当節。
地域によっては子供会も任意入会だから、会費も払わない。
集合住宅はその建物の住民だけで自治組織を持つところも。
反対に一戸建ての家が中心で組織を持つからこそ、
集合住宅の子供は会に入れないという場合も。


町内会費(自治会費)と、子供会費用は別なので、
任意入会をしなければ出費はなしという地域も。
習い事や塾で忙しい子供は、土日もで掛けることも多い。
子供会のキックベースボールやソフトに出かける子は減り、
指導する保護者側にも余裕が無い。


子供同士の関係から子供会の世話役になったり、
町内会の人間関係から押し付けられたり、
理想的な互選で選ばれているとはいえない、
その地域の様々な事情が存在。
有無を言わせず役員が回ってくる所も。
子供に良かれと思って役員を引き受ける親、
コミュニティから積極的離脱を計る親、
どういうスタンスで関わるか。


町内会・自治会は子供会、青年団(祭中心)老人会。
一度入るとなかなか抜けられない人間関係を必要とする、
組織の一員、地域の構成員、担い手。
どこまでどうお付き合いするか、一事が万事。
しかし、行事をすることが中心で、
その中に「どのように構成員を育てていくか」
「どんな付き合いが望ましいか」という理念が無くて、
従来どおりに流されているのならば、
「ここは〜の場ではないから」と教育的指導や配慮が少なく
自分の関与できる余地が無いと感じるならば、
娘を必要以上のしがらみの中に放り出すのは、心許ない。


娘のことか、自分のことか、子ゆえの闇、親の欲目で
物事が見えていないのではないかと、気にはなる。
ちょっとした行き違い、挫折、親は親で子は子で
どのようなスタンスを持てば良いのか。
思案のしどころ悩みどころ。


娘は1人で何でもできていたのが、一緒にお風呂、
付いて来て、一緒に寝る、抱っこしてと少々幼児帰り。
それだけキャンプで消耗したのかと、親バカは気にしてしまう。
BSの「十二国記」でもたまたま今日この台詞を聞く。
人生は嬉しいこと半分、辛いこと半分。


親は子供の年齢の親にしかなれない。
親業も常に初体験。子ゆえに迷い惑いながら、進む道。
3歩進んで2歩下がる日々。

私からはじまるまち育て―“つながり”のデザイン10の極意

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