Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

保護者懇談の夜

めっきり日が暮れるのが早くなって・・・って当たり前。
冬至は目の前、バスは相変わらず遅れてくる。
必死で早歩き。少し着替えて小学校へ。
あれ? 全校懇談期間だよね? どうしてこんなに人が少ない。
共稼ぎの家が多いから、
17時半は決して懇談時間としては遅くないはず。


ボールが見えないんじゃないかと思われる運動場で、
賑やかにサッカーの練習が行われている。
先生? 地域のボランティアの人? この寒い中を、
さすがスポーツマンは違うなあと思いながら早足で教室へ。
ストーブの付いた部屋に定時に着けば、誰も居ない?
先生は柱の影で見えなかっただけか。


通知表が見せられるわけではない。
おうちで一緒に驚いたり考えたり、話し合うために、
前もって保護者に通知表はお見せできないことになっていますと、
1学期に言われている。冬休みの過ごし方を貰う。
懸案事項の夜の帰宅と、最近の友達付きあいについて相談。


思春期の入り口。
思春期の自分がどうだったか、覚えて居ても余り役に立たない。
血が繋がっていても、考えることは親子ではなくて、他人。
そう思わなければやっていけない、最近の皮肉で折れ曲がった反応。
「素直」という言葉はどこに消えてしまったのか、
腰を上げるのに時間が掛かり、物事にいちいち突っかかり、
ため息をつき、友達の発言や生活スタイルを、
何かと引き合いや基準に引っ張り出したりするようになってきた。
その、自分には無かった「ませていく」様子に、
(会ったかもしれないが、自分では気が付かないのか)
何だか苦い気持ちにばかりなってしまう。


子供はいつまでも無邪気な存在じゃない。
自分が無邪気でかわいらしかったかどうか、考えてもみよ。
その当時から周囲を斜めに見て、斜に構えて、文学少女は、
一歩間違えば引きこもりだったのに、真面目に登校して、
いじめられても無視されても一向に気にしない、
自我の強さともいえる鈍感さで自分を守っていたから。
・・・そういう自分とは全く別の、「娘」は娘なりの、
反抗期に入ってきたのだと、喜ぶべきなのか、
順当な成長を、哀しむべきなのか、置き去りにされる自分を。


いつまで親として、当たり前に尊敬してもらえるのか。
それは杞憂。いや、期待はずれ。
当てにしないこと。
家庭の中にあって、ドラマのように「いつでも相談に来いよ」関係は、
そうそう築かれはしない、生まれてきはしない。
先生の話はもっとも、納得できることばかりなのに、心に響かない。
何故か不安が深まっていくだけ。

エンカウンターで保護者会が変わる―保護者と教師がともに育つエクササイズ集 小学校

エンカウンターで保護者会が変わる―保護者と教師がともに育つエクササイズ集 小学校



連絡ノートに一杯書いて下さいといわれても、
気が付けば、連絡ノートさえも最近見ない。
駄目駄目かーちゃんの毎日が、だめだめな関係を促進している。
ため息をつきながら帰宅。
『忙しくても、もっと話をする時間を冬休みにとって下さいね』
ああ、先生のお言葉が耳に痛い。


娘が近寄ってこない。
「今日の懇談の話を聞きたくないの」「怖いからいや、聞きたくない」
話の継ぎ穂もありません。ああ、物置を掃除して部屋にして
明け渡したりしなければよかったと思うくらい。
自立心が養われたのではなくて、閉じこもる場所を与えただけ。
そんな風にして、専門領域から離れて、どんどん落ち込んでいく、
懇談会の夜。

イチャモン研究会―学校と保護者のいい関係づくりへ

イチャモン研究会―学校と保護者のいい関係づくりへ