Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

家族の温度差 その2

さて、帰宅すると勝手に部屋の模様替えをされていたりする。
書類やノートを大きさごとに揃えられたりしている。
これは小さな親切大きなお世話ともいうべきものであって、
仕事は整理整頓だけで行うわけではない。

人にはそれぞれやり方があって、勝手なことをされると、
一からやり直すどころか、全てマイナスになる場合がある。


そういうことを、手伝いだと思ってやる人間。
きちんとするのが当たり前という「きちんと」というのは、
そう思い込んでいる本人の基準であって、
整理整頓の名の下に、現在使っているものを、
全て本棚に入れられたり、箱に仕舞われたり、
大きさ順に並べられたりするのは、迷惑千万なのだ。


しかし、そういう話が通じない人間、病的に通じない人間、
そういう人を相手にし、暮らしていくのはやはり疲れる。
相手は全てが自分基準だが、自分の守備範囲を把握しているわけではない。
しなければならないことをするのではなくて、したいことをするから。
私は、徹夜で物を探して歩く羽目になる。

お片づけセラピー〜ADHD/ADDのためのハッピーサバイバル法

お片づけセラピー〜ADHD/ADDのためのハッピーサバイバル法

おとなのADHD―社会でじょうずに生きていくために

おとなのADHD―社会でじょうずに生きていくために


かつて千葉敦子が言っていた。机は複数必要だと。
その複数とは2つではない。少なくても3つ、できれば4つ。
やりかけの仕事を片付ける時間が惜しいから。
いくらパソコンで画面を幾つも開いても、
紙の資料は必要で、複数の本が必要で、仕事場は物が山積みになる。
私の仕事は、いちいちお片づけ優先ではない。
余程仕事が暇でなければ、もしくは待った区別の内容に取り掛からない限り、
全てをいちいち片付けに回すことなどありでない。


私は物は同じ位置に置く人、急ぎの仕事から片付ける人、
積んでおいて要らなくなった書類から捨てる人、
残ったもので、ある一定期間過ぎれば捨てる人だ。
いちいち全てをファイルする訳ではない。
家事も同じ。賞味期限の切れそうなものから調理する。
古いものから食べる。
(いつも新鮮なものを古びさせているわけではない)


許せないことばかり、し続ける。
でも、もう理性的にやめる事ができない人と
どうにかこうにか、付き合っていかねばならない。
おいしいからといって、子供に山盛りの皿を用意。
安いからといって生ものを買いだめ。
経済的だからといって、大きいマヨネーズやケチャップ、
冷凍食品で、冷蔵庫をいっぱいにする。
洗い物が楽だからと何でもワンプレートに盛り付けようとする。
腐らないからと粉ものを幾袋も常備している。


戦争中、物が無かった記憶、不足した思い出、ひもじい生活
今も彼女の心を占めているのは、そういうものへの恐怖。
少しずつ昔に戻っていく中で、何でも溜め込もうとする。
到来物は、なかなか口にしない。
来ることも無い客の為に取っておくものだと思っている。
シンデレラの継母と腹違いの姉の如く、
命令調の軍隊調のお小言の咎め立てを、
決して減らすことなく・・・。


かくして、壊れかけた記憶や思い込みを持った肉親を相手にする
平日が始まった翌日、その温度差を引きずりながら、
親不孝にならざるを得ない。
情はあっても、情でやっていけないことが沢山ある。
それを実感させられる平日。
顔を見て話が出来ない相手と成り果てている、
やるせなさに、疲れ果てて週が始まる。

もの忘れをしない30の方法 (中経の文庫)

もの忘れをしない30の方法 (中経の文庫)