Festina Lente2

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大蛇を置く

自分の中の箱庭のイメージが、みんなを動かすだろうと、
ある程度、揺さぶりを掛けることはわかっていた。



久しぶりの勉強会。私は私のイメージがどのように変容していくか、
グループの中でどんな風に変わっていくか、
予想を立てながら「見立て」を行っているが、
それでも、自分の予想が殆ど当たっているとしても、
自分一人では創り上げることの出来ない世界に、
グループだからこそ創り上げることの出来た世界に、
結構満足して帰宅の途についた。


箱庭は小さくて大きい世界だ。
誰もが同じものを創り上げることは出来ない。
グループで勉強するとなると、それはそれなりに安全を守るために、
危険を避けるために、ある程度の心の準備が必要になる。
お互いの暗黙の了解というものが、通じ合える相手なのかどうか。
せめぎ合い、ただ、それだけに終わってしまわないかどうか、
その見極めが大変だと言える。


とても、疲れていた。当たり前。
フルタイムの仕事をこなしてから、市内まで出向き勉強会。
通勤を1日1往復ではなく2往復するようなもの。
それも、晩御飯抜きで勉強するのだから、ばてても当然。
何か口に入れる時間もあればこそ、適当な栄養の取り方は、
後になって、結構「欲求不満」を生み出したりする。
食欲は夜遅く「噴出」すると怖いことになるのだ。


だからこそ、疲れていたからこそ、何かを飲み込みたい欲求は大きい。
私は全てを飲み込む勢いの蛇を、自らの尾を飲み込む勢いの蛇を、
周囲をねめ回しながらも、威嚇すること半分誤解されて諦める半分の、
自分の役割に疲れ切った年老いた蛇を置く。
水底に隠れることも出来ずに、見られたくない体をさらけ出している蛇を。

龍と蛇 権威の象徴と豊かな水の神 (アジアをゆく)

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アイヌの鳥・蛇信仰

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そして、自分自身が必要とするエネルギーの塊のような輝く破片を、
貝に守られて少しずつ成長する真珠を、
常磐木のような明るい色彩の、クリスマスカラーの赤や緑の玉を、
こんこんと湧き出る泉を象徴するような水色のビー玉達を置く。
全ては開かれるように、全ては閉じられるように。
自分の世界は立体的なコラージュ。自分の世界は、人と調和してある箱庭。
グループで動く時、牽制なのか、協調なのか、威嚇なのか、妥協なのか、
瞬時に変転する気の渦のようなものを感じながら、
自分の立ち位置をまさぐる感触が、今日は楽しかった一日。



そう、多くを語ってはならない。
それはルール違反。
自分の診た世界は自分の感覚を通してみた世界。
それでもなお、自分がある程度の予測の中で守られていることに感謝。
グループで学ぶ、ワークをすると言うことは、
直接的にふれあう電脳玉手箱の中のやりとりのような感じ。
それは、思いやりや直感を必要とする。


いきなり通りすがりの人になるのではなく、今、ここに、
生きて存在する人の瞬間の思いに、寄り添える力があるかないか。
講師の先生が説明する。
「とても疲れているから復活を意味するクリスマスカラーを欲するのは、
意味がある行為。」なるほど。


世界を相手に牙を剥くように存在する蛇として大地に君臨し、
空を掛ける、空からぶら下がる、地に潜り込む蛇を、
ファーストアイテムとして用いて、湧き出る泉で締めた回。
意味があったわけだ。それが予測内の綴じ代であったとしても。
来年は龍の年。蛇ではなく龍だけれど、水を司るのは同じ。
「言言」となるか、「狂言」となるか、みもの。

蛇との契約―ロマン主義の感性と美意識

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人生を描く心理学―アートセラピー表現に見られる人生観

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