Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

前歯ブリッジ調整続く

どうして歯医者に行くか。貴重な時間を割いて。
それは、前歯の治療だから。話す・しゃべる・くっちゃべる為の口。
食べる・食いつく為の口。舌を滑らかに使いたい。
口の中の違和感を少なくしたい。しっかり噛みたい。
噛み切りたい。歯応えのある堅いものを。
噛み締めたい。心ゆくまで秋の味覚を。


通院は時間が掛かる。その為職場から一時的に離れる。
これはある意味、自分に取って必要な避難措置。
一人になる。その場から離れる。避難的行動。
街中に、人込みを抜け、大きい病院の、誰も知らない場所へ。
知り合いに会わない場所へ。仕事から距離を取れる場所へ。


ブリッジの調整には、時間が掛かっている。
しかし、本の少し削っただけで口内環境が激変。
歯の当たり方、咀嚼時の感覚が全く異なる。
先生に伝えたいけれど、うまく伝えきれない。
どこがどんなふうに当たって違和感が生じるか。
なのに、的確に自分の感じていることを伝えるのが難しい。


赤い蝋と青い蝋が塗られた紙を、何度でも噛み直す。
先生は根気強くそれを見ながら削り、調整し続ける。
この過程が、どれほど続いていることか。
そして、その合間に時には居眠りしてしまうほど疲れていたり、
全く眠くならなかったり、その時その時の私が感じているのは、
先生に任せている安心感だったり、
ちゃんと噛める歯がどうかの不安感だったり。

カトリックと文化―出会い・受容・変容 (中央大学人文科学研究所研究叢書)

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治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)

治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)



失った歯の代わりの部品・補助品を、最低限ではなく、
納得できる「話し・食べ・噛み締める」事の出来る環境を、
待ち望んでいたら数本の歯に、どえらい時間と手間暇。
自分の体の一部であった物が失せ、その代わりのブリッジ。
失った歯は、確実に老いて行く自分の体を感じさせるもの。
見えなくなってきた眼と同様に、受け入れ難く口惜しく、
「感じる私」を失う事に、「私自身の感じ方」が変化する事に、
どれほど抵抗を覚えているか、意識させられる「歯」のありよう。


「ぎりぎり横に噛んでください」「前後にぎりぎりしてください」
「斜めにぎりぎりしてみてください」補綴咬合治療科の腕の見せ所。
若い女性の先生は殆どしゃべることなく職人芸の技に徹する。
その仕上がり「噛み心地」「噛み合わせ」が、ここでは私を癒す全て。

前歯が不安定、歯に不安があれば噛み切る事が出来ない。
それはとても象徴的なこと。
体内にものを摂取する、心の中に何かを受け入れるように。
体内に栄養になるはずのものを摂取する。心にとっても同様に。
その出入り口がしっかりしていなければ、何もかもが揺らいでしまいそう。


だが素のまま、丸のままでは受け入れがたい。
あるものは味付けし、あるものは香りを付け、料理して、
出来るだけ受け入れやすい形にして、噛み砕き、咀嚼して、
見える臓器と言われる歯で安全な形にし、
舌で味わった上で安全確認して体内に取り込まなくては。
呑み込めるようにしなくては。
その過程は、心の中に受け入れ、認め、納得するまでと同じ。


だからこそ、噛み切りたい。断ち切りたい。不安を。
食べられる幸せ、割舌よく話せる気持ちよさ、
さっくりと噛み切って、じっくり噛み締める事の出来る、
心ゆくまで味わうことの安心感、解放感を・・・。
自分が自分であることを感じる事が出来る、単純な方法を、
早く自分に返して、戻して、再体験させてほしい。


仮歯が取れないように、おっかなびっくり噛むのではなく、
どんな事が起こるかわからないからある程度予防線を張って、
傷つかないよう準備してから物事に当たるのではなくて、
そのまま、旬のものを、素直に何の抵抗も感じることなく、
食べてしまいたい。受け入れてしまいたい。


少々の堅さも不味さも青臭さも気にせずに、
豪快に噛み砕いてしまいたい。
しとやかに食べるのではなく、飢えを露わに晒し、
がつがつと貪り喰う激しさ、勢いを取り戻したい。
心ゆくまで味わいたい。味わい尽くしたい。


それは食べ物、それは物事、それは人、それは心。
それは自分と周囲との関係性。
タフに受け入れる自分自身の若さと体力。
眼と歯と口と手足と皮膚と、自分の体の隅々まで、
「私が私であること」を感じさせる感覚を、
納得できる自分の感じ方を取り戻したい。


その作業の一環が、根気を必要とする通院治療。
失われゆくものに寄り添ってもらう、医療者を必要とする、
補助的手段に慣れる為の、リハビリに匹敵する、
噛み合わせの確認。
今日から10日間、OKならば正式に固定して貰う。
私の前歯になる部分。


大げさだと思うならば、思われても構わない。
でも、口の中はわずかな違和感も見逃さない。
受け入れる事が難しいものを、噛み砕いたり飲み込んだり出来ない。
だから、自分自身の心も同じ。
それは、とても象徴的なこと。

実践・“受容的な”ゲシュタルト・セラピー―カウンセリングを学ぶ人のために

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健康と病―差異のイメージ

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