Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

母の骨折

突然ですが、母が骨折しました。幸いなことに軽傷、
転倒、大腿骨骨折などという大事ではなく、左足親指の骨をポキリ。
1ヶ月間の固定になりましたが、その後のリハビリの方が少々気掛かり。
何故こんな事になったかというと・・・話せば長いことながら、
というのも、本日が13日の金曜日だから怪我したわけでもなく(苦笑)
週の初めからずっと問題を引きずっていて、
どうすればベストの状態になれるかと、通院の機会を伺っていた状態。


母は軽い認知症です。まだらに記憶が飛びます。
しっかりしている時はいいのですが、駄目な時は駄目。
だんだん駄目になっているのがわかるのが哀しい。
とはいえ、まだまだ軽症です。
というか、本来の意味で認知症なのか?
多発性脳梗塞の後遺症なのか、老人性鬱なのか、
きっとそれらがミックスしているのだろうなあ、
本来の性格にプラスして・・・という感じ。


性格の良い所はなかなか伸びないのが人間。
悪い所は常に誇張されるというのが、人の世の習い。
頑固で、常に自分が正しいという自己主張。
「ねばならぬ」規範精神。プライドの高さ。
何事も自分で解決、人には頼らないという負けず嫌い。
この生き方には良くも悪くも影響されたが、
現在では振り回されないように注意している。


とはいえ、プライドの高さから「出来ない・知らない・わからない」を
前面に出すことの無い母の日常生活にマッチした形で、
「出来る人がフォローすればいいでしょ」と受け流す父のありよう、
これが裏目に出た今回。歩き方が変、何かあったと気付いたのは父なのに、
私たちには言わない。食事をとろうとしない母の様子が変、
枕元に行っても人を近づけず、触らないでほって置いて。
ますます変。足元を見れば、勝手に赤チン湿布。
そこからはみ出して見える、内出血の赤黒い皮膚。


・・・抵抗するので、諦めた。緊急性というか、命の別状以前に、
父が「そっとしておいてくれ」では、上手く動けない。
痛みに関して心配、お年よりは痛みに関して鈍くなっているから心配、
打撲の程度から骨にひびが入っているか骨折の疑いもあるからと言っても、
両親揃って嫌がる、母に至っては「自分の体のことはよくわかっている」
「大げさにするな」「たいしたことはない」で受診拒否。
父は「本人の意思優先」「動けているから大したことは無い」
いつもそう思い込むことで、問題から上手に逃げる楽天家。


これが日曜の時点。諦めて翌日月曜の受診を父に頼んで
一旦引き下がったものの、むろん月曜に確かめてみれば、
「嫌がったし、大したことなさそうなので」と父は敵前逃亡。
おまけに「お前は大げさだ」「好きなようにさせておけ」
母に同調して娘を責める。「お前は医者に行きたがるなあ」
骨折の疑いがあれど、救急車を呼ぶほどの緊急性もなし、
倒れているわけでも熱を出しているわけでもなし、
こういう時は、どうすれば?


おまけに、他人を家の中に絶対入れたがらない両親。
人付き合いのいい父、それは外向きの顔。
家の中には他人の援助を持ち込まない。
最終的には「お前たちは自分で何とかしろ」もしくは、
「俺達をほうっておけ」「好きにさせろ」になる。

認知症の医療とケア―「もの忘れクリニック」「もの忘れカフェ」の挑戦

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おばあちゃんが、ぼけた。 (よりみちパン!セ 25)

おばあちゃんが、ぼけた。 (よりみちパン!セ 25)


で、昨日木曜。「明日は神経内科に行く日だから、その時に、
お医者様に痛い足も見てもらおうね。」母に話しかける。
「エ? 誰が病院に行くの?」
「お母さんだよ。明日は先生のところに行く日だよ」
「私は外出するのは好きじゃないのに」
「でも、先生と約束している日だから行かないとね」
「私は、あんまり人と会うのが好きじゃないのに」


・・・昔から、そういう性格と行動パターンだから
内向的な性格の悪い部分だけが救う形で認知に歪みが・・・。
諦めムードで悶々としても始まらないので、
「職場から病院に行くからね」と声と掛けておいて、本日。
検査検査で病院内で昼食まで取って、診察を待つも、
予約時間から1時間待てど順番が来ない大学病院。
10分に1人の割合で予約が入っているけれど、それで廻る筈も無し。


診察の順番が来る時には、両親は疲れ切っている。
年寄りの通院は、「元気」でなければ来られないとつくづく思う。
もっとも、周囲は親の車椅子を押している中年の子供ばかり。
自分で歩いている両親は、確かに「元気」な部類なのだ。
待たされている間本も読まずおしゃべりもせず、離れて座っている両親。
やれやれ・・・。仲が良いんだか悪いんだか。


そして、診察。神経内科の先生はいつも優しい。
母の御託。「眠れないので睡眠剤があればと思います。
自分ではだんだん良くなってきているので、大丈夫です。
他に悪いところもありません」これだからね・・・。
でもって、専門外で申し訳ないけれど先生に、
「おばあちゃんが知らない先生に診てもらうのは嫌だというので、
先生ちょっと足を診て貰えますか」とお願い。


先生は快く診て下さいました。そして、傷を診て「びっくり目」。
「おばあちゃん、これね、治してあげたいけれどここでは無理だから、
おうちの近くのお医者様でレントゲン撮って貰って、ね。
必ず1枚撮って貰ってから、きちんと治療した方が良いよ。
傷は消毒しておくから、ゲンタシンだけは出せるけれど、
整形外科に行くって、約束して、な」


両親が診察室を出た後、先生と再度話を詰める。
母を連れて先に病院を出る。父は支払いと薬待ち。
これがまた毎度、時間が掛かるからね・・・。
母の気が変わらないうちに、整形外科へ行かなくては。
大学病院内で診て貰えないのが辛い。他科受診に回す程でなし、
紹介状が必要なほどでなし。本来こちらが自力で行くべきなのだろうし。
これが小回りの効く個人病院内なら可能かもしれないが。
いったん母を自宅に。先に娘を学童からピックアップ。
留守番とお手伝いを言いつけ、整形に行こうとすると、
炬燵に陣取った母は「今日はもう、お出かけはしないよ」


「でもね、大学病院の先生と約束したでしょ。
私も約束したから嘘つけないし、今日行くって約束したから、
絶対に行かないと、ね。」娘も横からきつめの援護射撃。
「そうだよ、おばあちゃん約束は破っちゃ駄目なんだよ。
ちゃんとお医者さんに行っておいでよ」
納得して動いてもらわなければ、後でまたこじれてしまう。
というわけで、駅前、馴染みの整形外科へ。外は小雨。


問診表を代わりに書いて、看護師さんにそっと母の状態を伝える。
先生はあっさり診察を始めて、傷について尋ねる。
「雨戸が足の上に落ちてきて当たったので・・・」と話す母。
落ちて来たのか落としたのか、いずれにせよ雨戸を閉めに行ったわけね。
・・・母は今の状態になってから部屋を暗くするのが好きで、
30年以上覆いの無いすりガラスの明り取りの窓にカーテンを付け、
4時ごろの明るいうちから部屋中のカーテンをして、
・・・そう、戸締りにうるさくというか几帳面というか。
不安・寂しさ・心細さから来る防衛なのか、
周囲との距離をどんどん取って来ている証拠なのか・・・。


レントゲン後あっさり宣告。「折れてますね、骨折ですわ。」
やっぱり・・・。親指が砕けてというか、真横にぽっきりだ。
1ヶ月固定が必要。旅行や入浴などトンでもない。
骨がずれないように少し上まで固定する。傷口の処置も必要。
二日に一回の割合で通うように。今日はスリッパ貸しましょう。
先生に色々説明され、叱られた子供のように小さくなる母。
処置が終わって会計を待つ間、すぐに父に連絡。
電話の向こうで絶句する父。


帰宅してみんなの食事を作る。
週末は世話の為にいるよと言ったのに、「二人きりにしてくれ」
「出て行ってくれ」と父に追い出される形で、20時過ぎ、
娘と家人宅に向かう。・・・やれやれ。
父のプライドも傷ついたのだろうなあ。
午前中仕事、午後病院2件掛け持ち。
さすがに疲れました。それでもまだしも優しい先生方のお陰で、
きちんと診て貰えて良かった13日の金曜日でした。

やさしく学ぶ認知症のケア

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認知症の知りたいことガイドブック―最新医療&やさしい介護のコツ

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介護タブー集 (介護ライブラリー)

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