Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

娘に机を

丸々娘に一部屋・・・とまではいかないのですが、
とにかく机とその周辺の空間を確保。
今までは夏のちゃぶ台だったり、冬のコタツだったり、
色んなところで適当に勉強していた娘だったのですが、
3学期の成績が下がったこともあり、
4年生からは学童も無くなり、今のうちに
勉強する習慣をしっかり付けさせなくてはという家人の希望と、
「自分の机が欲しい」ということで、昔の机(お古)を
娘用にあげることにしました。(私の机でもない)
でもって、引き出しの中には色んな古いものが。
娘と広げて、要るか要らないか整理整頓。


出てくる出てくる、もう何と言いましょうか。
本数が半端じゃない。またちびた鉛筆の類も。
ペンの類、万年筆・ボールペン・シャープペンシル
赤黒青ペン・ラッションペン・ネームペン・色鉛筆。
インク壺にペン軸、紫や黄色のインクまで・・・。
色鉛筆と来たら、牧美也子のイラストの懐かしいものも。


実はいまだに宇宙少年ソランや百一匹ワンちゃんの色鉛筆、
セルロイドの筆箱数種類、昔懐かしい柄鉛筆の類、
コーリンや三菱ユニをダース単位や化粧ケースで持っている私。
壊れかけの古い筆箱さえ捨てられずに机の中に入っている。
捨てられない私だから、色んなものがタイムカプセルの如く
机の中を占めていて、このうん十年間・・・。


キティちゃんのクリップ、那智勝浦神社や宇佐八幡のお守り、
何故か「オルフェウスの窓」のメモ帳、ミッキーマウスのシャーペン、
お茶で使う懐紙にお年玉用のポチ袋。かわいいイラストのメモ帳。
封印していた机の中は様々な文房具の物置と化していて、
使わなくなった昔のアクセサリーや、証明写真、絵葉書、
20年以上も前に亡くなった祖父の手紙、約半世紀前の韓国土産、
各国のお土産や小物キーホルダーの類。
例えばミニ「おたかぽっぽ」が付いたキーホルダーなんかも。


参考資料として買った書物、目を通していない積読の山。
幸い漫画や童話、ジュブナイルヤングアダルト・SF、
文学全集の類は娘が読んでくれそうだけれど、
文庫や新書はまだまだかも。
ええ、本棚も箱の山の向こうに埋もれていたので。
捨てるに捨てられないというのは身勝手な自己満足で、
えいやっと捨ててしまわないとごみの山になるとわかっていながら、
どうしても捨てられない。スペースがある限り封印して箱詰めに。

まだある。文具・学校編 (大空ポケット文庫)

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まだある。今でも買える“懐かしの昭和”カタログ~生活雑貨編~ (大空ポケット文庫)

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記憶や思い出は可能な限り頭の中にしまっておけるけれど、
物理的なものに関しては場所を取るので致し方なく処分。
自分自身の小さい頃の服などむろんのこと殆ど無く、
残念ながら色褪せた写真の中にしか見ることはできない。
今年10歳になる娘の服は何点か取っているが、
執着しすぎるのも煩悩の元と、あちこちに譲り渡していても、
結構たまってきていてどうしたものかと少々悩む時も。


母は昭和の一桁の人なので手先が器用で、なんでも再生利用した。
祖父のお下がりから自分で縫ったセーラー服を来て女学校に通ったという。
あながち嘘ではあるまい。私の小学校の制服も、七五三の着物も縫ってくれた。
(公立小学校なのに制服制帽があり、校章だけ買い求めた)
しかし何でもできる親の元には不肖の娘が育つ訳で、
編み物は何とか、縫い物はさっぱり。刺繍程度。
そんな母も職に就いてからは手仕事も減り、
もっぱら庭をいじることだけが楽しみだった。


編み機を引っ張り出してきて作ってくれる服は少なくなったが、
中学校高校時代に編んでもらったベストや
大人になってからも編んでもらったセーター・カーディガンなどは
大事にとってある。虫が付かない様に気をつけて。
その頃には自分で編めたけれど、母の腕前には到底敵わない。
私が持っているもので人様より多いのは本と文房具ぐらい。
そして着られなくなった服。


やせたら着られるか、もう少し取っておこうかと思って仕舞っている。
時代遅れという問題ではなく・・・論外という感じ。
しかし、恐ろしいことに娘がもうすぐ着られそう。
家の中で着ている分にはいいか。外に着ていくのでなければ。
そんな感じがしてきて怖い。そういえば、昔々のクリスマス。
パジャマの上に羽織る大人びたガウンをプレゼントして貰ったのは、
小学校4、5年だったか。少々大きいお姉さんの雰囲気が気に入って、
実際に着るようになったのは中学校位からではなかったか。


パンドラの箱ではないから、恐ろしいものは出てこないだろうが、
災厄とまではいかなくても整理整頓の足手まといになるものはどっさり。
さりとて今すぐ捨てなければならないという緊急性が無いために、
納戸化した部屋に置かれていたのだが、今度こそ本当に物置に移動させねば。
実家は昨年物置を増設した。父も「取っておく派」なのだ。
物惜しみ・物持ちというよりも、「捨てられない派」は血筋らしい。


人様から見たらごみだめ。二度と見ることも無いかもしれないパンフレットの類。
けれども、エキスポ70も、奈良シルクロード博や愛知万博も、
今まで行った海外旅行の地図やパンフも残してある。
四半世紀以上も前、ベルリンの壁崩壊以前のヨーロッパ、
飛行機がいつ飛ぶかわからなかった中国南部、返還前の香港、
ただただ感動したエジプトの遺跡の旅。
写真も何だか整理しきれぬまま、どんどん時間が経った。
もはや定年後まで再度封印かも。


娘に一部屋明け渡すのに、すったもんだしているこの所。
封印を解いて胸が痛まない、というわけではない。
色々思うところはあるのだが、世代交代というか、
大げさに言うと世界を再構築というか、
自分自身の世界を少しずつ削って整理していく年齢を、
本来ならば、別の人ならばもっと早い時期に経験することを、
結婚・出産が遅かったばかりにタイムカプセルレベルの掃除、
整理整頓に追われている。


娘の成長が家族の封印を解き、私自身の封印を解き、
古い土台の上に新しい土台を築き直すように、
部屋が生まれ変わっていくのを受け入れる日がやって来た。
嬉しくもあり寂しくもあり。
そして娘、寝っころがって辺りを見回して曰く、
(まだ全部片付き切れていないのだが)
「昭和と平成がミックスしたごちゃごちゃの部屋、
落ち着くなあ」・・・ですと。


・・・ありがとさんでございます。(笑)
きれい過ぎる部屋には馴染めない娘に育ったかも。

まだある。玩具編 (大空ポケット文庫)

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まだある。おやつ編 (大空ポケット文庫)

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