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久しぶりの「カーペンターズ」

カーペンターズ。青春時代好きだった音楽の一つ。
カーペンターズ。彼らの音楽を聴く時、痛ましい思いに駆られる。
思い出の曲が、カレンの人生と死を連想させ、辛い気持ちにさせられる。
リアルタイムでファンだった人間には、懐かしさだけではなく、
割り切れない思い、どうしようもないやるせなさが付きまとう。


カレンがよく歌ったという「青春の輝き I Need To Be In Love」
それは「輝き」というよりも、苦痛に近い悲鳴のような歌だ。


The hardest thing l've ever done
Is keep believing
There's someone is this crazy world for me
The way that people come and go
Through temporary lives
My chance could come and I might never know
 
 
I used to say "No promises
Let's keep it simple"
But freedom only helps you say Goodbye
 
 
It took a while for me to learn
That nothin' comes for free
The price I've paid is high enough for me
 
 
I know I need to be in love
I know I've wasted too much time
I know I ask perfection of
A quite imperfect world
And fool enough to thing that's what I'll find
 
 
So here I am with pockets full
Of good intentions
But none of them will comfort me Tonight
I'm wide awake at four a.m
Without a friend is sight
Hanging on a hope but I'm alright.......
 
 
私の人生でいちばん難しいのは
信じ続けること
この狂った世界のどこかに
私を愛してくれる人がきっといると
はなかい人生を 人々は行き来するばかりで
私にチャンスが来ても
気づかずにいるかもしれない

 
”約束なんかいやよ、シンプルな関係でいましょう”
なんてよく言ったものだと
自由は あなたからの「さようなら」を早めただけ
少し時間はかかったけど
簡単に物事が行かないことを学んだわ
私には充分すぎる代償を支払って
 
 
そうね、私は恋をするべきだわ
そうね、私は時間を無駄にしすぎたわ
そうよ、私は不完全な世界に完璧を求めている
そして、馬鹿なことに
それが見つかるとおもっているの
 
 
そんな私のポケットの中は
夢や希望で一杯だけれど
今夜は何ひとつ 私を慰めてくれそうもない
朝の4時だと言うのに 目は冴えるばかり
一人として友達の姿もなく
希望にすがりついているだけの私
でも 私は大丈夫よ.....


映像はこちら→



私の誕生日の翌日、4月22日はカーペンターズ40周年記念日だったそう。
私達の年代にとっては、カーペンターズは青春時代のBGMの一つだ。
どちらかというと、ビートルズよりも馴染みが深いかもしれない。
何しろ私が深夜放送にのめりこむ以前にビートルズは解散していた。
だから、ビートルズを超えてカーペンターズの曲のリクエストが
我々の世代ではいまだに多いと聞いても驚かない。
当時、ヤングリクエストというラジオ番組を楽しみにしていた私は、
川端康成の自殺のニュースも、当時流行っていた最新のポップスも、
映画音楽いわゆるサントラも、みんなここで覚えたと言ってもいい。


残念ながら、青春時代を文学から心理学に重心を移して学んだ人間には、
カーペンターズのボーカル、透き通った声を持つ憧れのカレンの
拒食症のニュースと早すぎる死は、ショック以外の何物でもなかった。
明るい雰囲気、手を伸ばせば届くような世界、そんな身近なポップス。
絶大な人気とは裏腹に、自分自身の生活を失い、自分を見失い、
自分の存在を拒絶するまでに至った、若過ぎる死。


山岸凉子の漫画で劇画化された『グリーン・フーズ Part1、Part2』は、
誰が読んでもカレンとリチャードの兄妹を連想させる。
短編集『パエトーン』に収録されたこの話は、
心理面接のケーススタディ並みに恐ろしい話だった。
描かれたことがが真実だと言うわけではないが、
映像の持つ力はある意味文章よりも強い。
いまだにそのイメージは鮮烈で、実際カレンに先立たれたリチャードは、
彼だけでは認められることなく、カレンの兄として、
カーペンターズの一員として、命脈を保っている。


そのことについてどうこう言う事はできないが、
こういう形で残されて、生き続けて行かなくてはならないのは、
普通の人間には与えられることの無い罪であり、栄光なのだろう。
彼の作曲や演奏によって音楽が支えられているのではなく、
カレンの歌声によって支えられているのは紛れも無い事実で、
カーペンターズの根強い人気は、その闇の部分も相まっているのではないか。
とにかく、カーペンターズ全盛時代の曲は自分自身の青春の1ページ。
様々な曲に、様々な思い出が呼び醒まされる。


NHKのSONGSで放送された、
昨日の番組。どうして見てしまったのだろう。
リチャードが、今は亡きカレンの映像とデュエットする姿は痛々しかった。
それ以前に、やはり突き放してしまいたくなるようなおぞましいものがあった。
労りたいと同時に、苛みたいような気持ちにさせられる。
彼が全てを創り出し崩壊させたかのような気持ちにさせられる。
生き残っている人間を、カーペンターズの片鱗を、
このような形で呼び出して、晒し者にしているのではないか。
これは、供養になるのだろうか。
これは、いいことなのだろうか。


大写しにされる映像を見ながら、彼は何度こういう風にピアノを弾いただろう。
弾かなくてはならなかっただろう。
それは、余りにも残酷なことではないのか。
これで、残された彼自身が癒される事はあるのか。
時空を超えたコラボレーションなんて言葉は白々しい。
そんな気持ちにさせられてしまう。
ちなみに、小林明子がいくつかの歌を歌ったが、
かつての声量を失った彼女が更に凄惨な雰囲気を醸し出していて、
やはり見るんじゃなかった、今日の番組としみじみさせられた。


そうか、昨日は昭和の日。尊敬した手塚治虫も逝ってしまって久しい。
彼も記念番組が作られるほど慕われているが、
最後の最後まで生き続け戦い続けてメッセージを送り続けたのとは異なり、
カーペンターズとの別れは後味が悪く、封印したい思いがある。
裏切られたような、信じたくないような別れ方をして、
そのまま年月が過ぎ去ってしまったような、そんな思いが今なお残る。


同じようにこのカーペンターズの番組も今までの特集のように、
見ないでやり過ごしてしまえばよかった・・・。
当事者で無ければわからないことが山ほどある。
美しいことばかりではない、辛いことの多い人生が、当たり前にある。
そんな生き方を目の当たりにするのは、心が痛む。


・・・こんな私でも、結婚式の時、退場のお開きの曲に
「SING」を選んでかけた。遅くに結婚した私達にも、
未来を紡ぐ子供に恵まれますようにという思いを込めて。
幸い娘に恵まれ今に至るだが、カレンは世界中にファンを作っても、
自分の人生を紡ぐ事はできなかった。
昨日、昭和の日。青春時代をその歌声で癒してくれた人に、
追悼の意を込めて。

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