Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

トモダチコレクション

困ったものである。
運動会の代休、きっと娘は私がいないのをいいことに、
ゲーム三昧で遊んでいるに違いない。
本体を預かったりしてないので、
宿題やピアノの練習をした振りをして、
好きなだけ遊んでいるに違いない。


新しい物に取り込まれがちな人間の性(さが)とはいえ、
親子ともどもDSのゲームの虜になっているとは。
恐るべし、『トモダチコレクション
この2週間ほどの間に、あれこれ試してみて、
あらかたの仕掛けはわかってしまい、
出し物としてはこれ以上、目新しい物はないと
ほぼ見当が付いて来ても、もしやまだまだ秘密の出し物、
ある一定のラインまで行くと、何かあるのではないかという期待。


つまり、ゲームにのめりこめるように仕掛けがある。
憎い組み立てだ。消費者に飽きられないように、
何がしかの仕掛けを設定する、確かに巧みではある。
受身で何か起こってくれればいいのにという現代生活、
自分から何かを積極的にしようとはしない若者の仮想空間、
ゲームの世界はなるほど、うまく作られている。
日常生活もこのように何気ないサプライズが続けば、
飽きも来ないのだろうが、そうは問屋が卸さない。


まず、ゲームの面白さは「ともだち」を設定すること。
自分でさまざまに登場人物を作り上げることにある。
生年月日、年恰好見かけ見栄え、身長から体型まで、
髪・目・眉・鼻・口・顔立ち、ひげやほくろ、メガネや帽子、
さまざま組み合わせて性格設定をすれば、16のグループ分け。
命名したそれぞれに、日々の衣食住。


用意された衣装、マンションの部屋の模様替え等、
オーナーになった世話役のゲーマーは、
さまざまな要求を出す住人の願いに応え、揉め事を解決し、
時には月下氷人となって仲人口を利き、
住民のお付き合いを左右する重要な役目を果たす。
何しろ遊び相手になり、様々な夢を覗き見し、
時には寝ている住人にいたずら書きもできる。


人間、手間隙かけて誰かを成長させることができるとなれば、
この先どうなるのかと、興味を持たざるを得ない。
その分身たる登場人物たちの数が半端じゃない。
気が向けば新しい住民を作るので、というか、
住民たちは「新しい人が来ないかな」なんて訴えてくるし、
「待ち合わせには遅れるタイプです」だの、
「いつか大きなことがしたいです」とか、
「この島を出て行くのが夢です」など訊きもしないのに語り、
様々な疑問質問を投げかけてくる。


まったく無視することもできるのだが、
いかんせん、そうなると島の住民の満足度が下がる。
なかなか一旦始めるとやめられない仕組みになっており、
その時々でゲットできるお宝、音楽やテーマ曲、演奏会の様子など、
動きもとにかくメロディも楽しい。
住人が喧嘩し罵り合い、恋をし失恋し落ち込み、
付き合いが進み結婚し、予想外の展開が進む。


なるほどなあ、最近のゲームはこんな風にできているのか。
庭先縁先でおままごとをして複数で遊ぶ経験を持たない子供たち、
仮想空間の中でお付き合いのミニ・シミュレーションをして、
会話のパターンや、大げさにデモンストレーションされた出来事、
滑稽な受け答え、妙な多数決、質問コーナー、
いやはや、あの手この手でなかな全く同じパターンで終わらない。
その次その次のレベルはどうなるのかと、続けたくなる。

トモダチコレクション

トモダチコレクション


人間心理を突いた、巧みなゲームに引き込まれる。
大人でさえこうだから、子供はあっという間に陥落されるだろう。
御伽噺の構造よろしく、繰り返しのパターンはイメージ強化につながり、
何度でも物語が展開する面白さを味わうことができる。
無論、想像力の限られた世界の限られたパターンではあっても、
子供は与えられた画像イメージ、音楽、ゲームに夢中になり、
目先のにんじんを追うが如く、ゲームに打ち興じることになる。


例えば、住人は誰それと友達になりたいと訴えてくる。
どんな話題でしゃべればいいかとリサーチしてくる。
恋愛の場合は、もう少し複雑に。
相手がいるのか、やめたほうがいいか告白してもいいか、
どんな場所でどんな風に告白すればいいか、
服装はどうすればいいか。
だんだん芸が細かくなる。


そういう住民があちらこちらに増えてくると、
今度は別れたい、喧嘩しました、この苛立ちをどうにかしてくれ、
そんな悩みが増えてきて、最初は単純に仲直りしていたのに、
何日かすると、謝りに行っても「許しません」という場面も。
現実、そういうことは日常生活珍しくないし、
「まあいいよ」と口で言っても、実は全く許してもらっていないと
いうこともよくある。世間様とはそういうもの。


許しませんの場面で、ものを投げ合って言い合っている場面も、
子供にとっては言葉の学習、喧嘩の仮想空間なのだが、
シリアスになりすぎないよう、笑いをとる場面もきちんと設定。
失恋や落ち込みも、旅行やお仕事体験、オルゴールや入浴など、
気分転換のアイテムを盛り込み、生活体験の先取りを行わせるかの感。
こういうところから、現実問題へのアプローチを学んでいくのが、
今時の子供の生活なのだろうか。


子を持って知る今時の世界、おもちゃから見る世の中。
誕生日のDSに現を抜かしているのは、娘ならぬ親たちである。
律儀な娘はソフトを買ってくれた姑からはじめ、舅、両親、祖父母、
友達、物語の登場人物などをどんどん住民に設定。
とーちゃんかーちゃんも参加させて貰っているので、
それぞれ何人かの住民を作っている。(住民はMiiと表現される)


そーせき(夏目漱石)、あくたん(芥川龍之介)、こまち(小野小町)、
なごん(清少納言)、キラ船長(『ブレーメンⅡ』の船長)など、
現実の登場人物とリンクしたり、重ね合わせたり、思い思いに作る。
人形遊びで想像力だけで飛び立つ世界とは異なり、限定されがちなゲームとはいえ、
自分では創造できない世界(発想)も垣間見ることができるのは確か。
しかし、それは遊ぶメンバーが異なれば遊びの世界も変化した世界が、
確保できなくなってしまった今時の子供の遊びだと思えば、何かしら物悲しい。


付き合う人間、遊ぶ場さえ異なれば、同じ物語は全く同じま進まず、
同じゲーム展開にならないということを、肌で感じることなく、
心の痛みや体の疲れを伴うことなく、ゲームで覚えていくのが、
今時の子供の世界なのかと危ぶみながらも、
その虜になる過程が実感できた、かーちゃんとーちゃん。
それも年の離れた親だからこそ、ゲーム世代の若い親は、
何の疑問もなくゲームで遊ぶことにためらいはないのだろうが・・・。


その意識の垣根の低さを危ぶみつつ、垣根をすぐに飛び越えてくる、
その影響力の大きさに驚きつつ、しばらくは
我が家の『トモダチコレクション』の日々は続きそう。
どんなゲームか知りたい方は こちらへ→


ちなみに、Miiたちに「負けた」と思える瞬間、
それは彼らが部屋の中でせっせと運動(腹筋だのストレッチ)を
していて、私より遥かに健康に気をつけている点だ。
夜中でも「興奮中です」「眠れません」といいながら、
結構歩き回ったり、運動、ストリートライブの練習、
果ては朝市に出かけて売り子になったりしている。
全く持って、色々やってくれているが、
データの保存中にも運動場面が出てきて、頭が下がる。
さすがメタボ予防時代のゲーム。
刷り込むイメージが違う。

ことばのパズル もじぴったんDS

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