Festina Lente2

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振り返ってみると愚痴?

今週は色んなことがあった。父の検査結果を主治医に聞こうと思っても、
なかなかお会いすることが出来なかったこと。
そして、他科受診依頼にまつわるすったもんだ。
病院間での連携や、同じ病院内での他科依頼は主治医ならずとも、
看護師、家族それぞれ気を遣うところなのに、父が全く意に介さず、
というか、父は自分の考えでのみ動き、結果として周囲は振り回された感じに。
主治医や担当看護師と、気まずくなったらどうしようかとヒヤヒヤした。


父に対してどのようなシステムで他科受診するか、
他の病院での画像資料をどのように利用するのか
きちんと説明されていなかったせいだと思う。
おそらく、必要最低限の事項だけ伝えていたのではなかろうか。
画像が手に入ればすぐに連絡するように、確認も取っていなかったようだし。
プライドの高い老父なれば、自分を通り越してあちこち連絡されるのは嫌で、
自分で何もかも連絡手配しようとしたのだろうし・・・。


本人に連絡、そして家族に連絡なのか、家族に連絡、そして本人に連絡なのか。
本人の了承、そして家族の了承なのか。
どちらにせよ命のやり取りに関係ない分野のことなので、
今回は気が楽だが、切羽詰っているときであれば疲労困憊してしまう。
特に検査結果がどうなのか、何回も繰り返される内視鏡検査は何のためなのか、
血液検査をしても結果が回ってこないのは何故なのか、
どの程度の貧血なのか、一々気になる家族としては・・・。


そういう思いを散りばめながら、入院して1週間が過ぎた。
今回緊急入院でありがたかったのは、真夜中過ぎの救急搬送にもかかわらず、
担当医や看護師の応対が非常に丁寧だったこと。
不安を煽らないように優しく丁寧に接してくれているのが分かった。
緊迫感溢れる応対をされれば、こちらも必要以上に緊張してしまう。


それでも、余りに丁寧過ぎると、というか小学生にでも分かるような
説明ばかりされると、(それはおばあちゃんである母向けになされたのだろうが)
受け止める家族としては、少々馬鹿にされたような気がしないでもない。
非常に細かい説明は不要でも、ある程度の医学的な説明がなされないと、
余計に不安を煽られるというのは私だけ?


誤魔化されているとかではなく、焦点をぼかされているような、
何が起こってどのような処置が取られているのか、
蚊帳の外のような気分になってしまうから・・・?
まあ、医療現場からしてみれば詳しく説明しても簡単に説明しても、
結果オーライならばそれでいいじゃないか、
時間の制限もあるしということなのだろうけれど。


「本人に説明しました」というが、家族はそれで納得できないことが多々ある。
「本人」が医者の言葉を正しくその通りに家族に伝えるとは限らないから。
家族はにしてみれば、本人が「大丈夫らしいぞ」と言っても、
どの程度まで大丈夫なのかさっぱりも分からない。
何を基準に判断していいのかわからない。


忙しい医師にしてみれば、家族に説明するのは2度手間で腹立たしいことだろう。
しかし、患者本人の大丈夫を本人の希望的観測による大丈夫なのか、
医師の判断に基づく大丈夫なのか、測りかねるのが現実。
ただ、本当に重篤であれば、別室に呼ばれたり、
看護師からその旨、声を掛けられたりするだろうから、
(それは今までの経験上そう感じているだけで、
初めて家族が入院した場合であれば、何も分からず不安は募るだろう)


こちらから何か言わない限り、どうこう動きようが無い。
それくらい病院は忙しいし、余力を避けない。
そういう場所だと思っている。
そして老父も「放っておかれているんだ」「訊かないと何も言わない」と
むっつりしていたが、それも慣れてきた感じ。
頻繁に主治医が来過ぎる様じゃ、それはそれで心配だしね。
大丈夫ってことだと受け取っておこう。


本来ならば、担当看護師の家族への声掛け、さりげない病状や様子の伝達、
何らかのフォローがあるのかもしれない。それでも雑談以上の情報提供は
周囲の目や耳もあり、悉く「しまいこまれて」いる場合が多い。
家族は本人の言葉から聞き出せないものを、不安から勘ぐる。
最も信頼できる医療関係者の発言からのみ、直接知り得たいと感じる。
しかし、この家族の微妙な心理は、忙しい現場にとっては迷惑なのだろう。

救急患者・家族への倫理的・全人的ケア (救急看護 Question Box)

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患者・家族からの質問に答えるための認知症診療Q&A

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医療とは乱暴な技術。破れれば縫い、折れたら繋ぎ、穴が開けば塞ぎ、
足りなくなれば補い、余分なものは切り取る。
熱過ぎるものは冷まし、冷え切ったものは温め、
詰まったものは通し、流れをよくする。
人間の体は一つの皮袋、水や血液が漏れないように、滞らないように、
医療ができるのはそれだけ、後は本人の自然治癒力
そこでトラブルがあれば、寿命なのだとどこかで聞いた。
乱暴な定義だが、実際そういうものなのだろう。


幸いなことに、父の回復は予想以上に早かった。
経口食を許された途端、こけていた頬が見る見るうちに窪みを埋め、
蒼白だった顔は血色を取り戻し、人間らしい面立ちに変わった。
気持ちも楽になったのか、わがままも出るようになってきた。
家族の(私や家人の)心配をよそに、あっという間に治った気でいる。
輸液と輸血、管理された食事内容で急性期を乗り切っているだけに過ぎないのに、
楽天的で前向きな性格は、自然治癒能力を高めているというのだろうか。
呆れるほど回復目覚しいと感じるのは、身内だけなのか。


むろん、病人は気分が変わり易いから、わがままの一つや二つと思うかもしれない。
貧血状態でうろうろして欲しくないのに、足元に自信のあるだけに
立って動きたがる。(トイレはまだポータブルだというのに)
しかし、自分にも経験があるからよく分かる。
トイレまで歩いていけるようになる、というのは目標であり、リハビリ。
ベッドの脇にトイレがあるというのは、敗北。ある意味、屈辱的。
それゆえ、普段から「構うな」という姿勢の強い父にしてみれば、
構って貰いたくないばかりに、回復を急いでいるようにさえ見える。
(最初からきちんとしていれば、入院するほどのことはなかったはずなのに)


総入れ歯でもなく、杖もつかず、運転も出来る、旅行手続きも自分一人で、
買い物・洗濯・アイロン掛け、ウオシュレットの取り付けから水道のパッキン、
何でも一人で出来る16人きょうだいの末っ子は、マイペースが大好き。
家族にでさえも構われるのが嫌で、食事も一人で好きなものを作って食べる。
好きなものしか食べない。だから病気にもなるのだが、本人は至って平気。
されどこれは、大人として生きていく上で「幸せ」というもの。
誰からもあれこれ言われず、マイペースで生きていけることは。


母のことに至っては、「うるさくいうな」「ほうっておけ」、
二言目には「できる人間が世話をするからいい」と、強気な発言。
たまに「訳がわからなくなってきて困ったなあ」と弱気になることも。
父は自分の事を「できる人間」と思っているようだが、
今回父の異変に気付いたのは、「一人で出来ない」と思われていた母。
これだから神様のなさることは、分からない。


さて、週末。おとなしく病室で養生して欲しい。
退院に備えて老父老母の冬支度に時間を取りたいこの週末。
神無月はどたばたの月末を神のみ恵みで補ってくれたらしい。
このまま無事に明日も終わって欲しい。
父の容態が落ち着いていても、安心しきれない私は心配性?
父の入院9日目。

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