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平山郁夫氏逝く

シルクロードの彼方へ逝ってしまった
ショックだった。でも予感はあった。でも、・・・。
老父と同年配であり、東山魁夷亡き後、私が好きだった画家。
あっさりとした、その恬淡な画風の中にも歴史への憧れを、
平和への祈りを、常に意識させてくれた画家。
まだ、ずいぶん昔、大阪のデパートで展覧会があり、記帳。
その後、わざわざ葉書を頂いた。あれはいつのことだったか。
まだ学生だったか、もう勤めていたか、それくらい昔の思い出。


何度かブログで書いているが、小学生の頃から歴史が好きだった。
1年生の時の世界童話。2年生の時の『千夜一夜物語
3年生で読んだ『天平の甍』も、4年生で読んだキャラバンの話も、
5年生で読んだスウェン・ヘディンの冒険記も、
中学生から高校にかけてNHKで放映された『未来への遺産』も、
その後の旅行熱に拍車をかけた。


いつか大きくなったら、世界をこの目で見よう。
それは大都会ではなく、『遺跡』のある場所。
歴史をしみじみと感じさせてくれる場所。
遺跡が私を呼んでいる、そう思って格安ツアーで、
あちらこちらを見て回った20代から30代。


シルクロード。限りない歴史ロマン。
この世界を題材にした日本画家の中では、平山郁夫が最も有名だろう。
『未来への遺産』後、同じくNHKの特集『シルクロード』、
遥けき世界、今の私たちの生活に通じる様々なものが、
人の手で、駱駝の背で運ばれてきた、そのことを考えるとワクワク。


いつかきっと旅をしよう。砂漠を歩こうと夢見いた頃。
あの幼い頃からの夢を、20代、30代、ずっと年を重ねていく中で
一人の画家が追い求めている世界を、絵を見ることで、
見る機会を持つことで共有できる。
そんなふうに思ってきていた。
でも、もう、新しい作品を目にすることはできない。
そう考えると、やはり哀しい。
父の世代、親の世代を失うことは胸にこたえる。


仕事先で貰った本の中でも、切々と文化財の保護を訴える平山郁夫
文化財保護・芸術研究助成財団からの寄贈本だった)
訃報に際してメディアは、バーミヤンの石窟寺院の仏像が破壊されたこと、
戦争によって貴重なシルクロードの遺産が失われた事を嘆き、
積極的な保護を訴えた平山氏を紹介していた。
無論私は『未来への遺産』で馴染みのあるその姿を思い起こした。
既に、イスラム教徒によって顔面を削られていた巨大立像の仏像。
受難は顔だけではなくて、ほぼ全身に及んだ。


戦争によって貴重な文化遺産が、今の人々の生活圏そのものが失われる。
その痛ましさ、辛さを被爆者である平山氏は自分の体験に重ね合わせ、
常に平和を願って、一筆一筆に込めたのだろう。
壮大な古代の文化交流を絵のテーマに選んだように、
平和もまた世界を通じて達成されるべき、文化交流であるように。

平山郁夫の世界

平山郁夫の世界

生かされて、生きる (角川文庫)

生かされて、生きる (角川文庫)

絵と心 (中公文庫)

絵と心 (中公文庫)

 


あの本をもう一度見よう。・・・寄贈本を探してみたが見当たらない。
どこに仕舞ってしまったか。
最初頂いた時は、歴史の教科書の副読本か? そんな印象。
様々な遺跡の紹介も兼ねて、その最後に彼の言葉が綴られていたというのに。
手に取ってもう一度見たいと思う時に限って見つからない。


でも、平山郁夫の絵はいつでも見に行こうと思えばいける。
その気になれば、美術館にさえ行けば。
きっと追悼の回顧展も行われるだろう。
その時に、再びあの巨大な絵、異国の景色の前に佇んで、
若かった頃の思い出、旅行の思い出に浸りながら、しみじみしたい。
シルクロードの旅はほんの一部しかできなかったけれど。


そして、私が生まれた頃から原爆の後遺症に悩まされながら、
生きる事の証として絵筆を握り続けた、その情熱の形を前に、
親の世代からのメッセージを受け取りに行きたい。
その前で考える時間を持ちたい。
平山郁夫、「ああ、あのシルクロードの絵の人」というイメージだけではなく、
別の意味で受け止められるように、再びその絵を見に行きたい。


調べると、滋賀県に平山氏の作品を見られる美術館がある。
何故か宮城県人2世としては、はずせない親子でファンの佐藤忠良の彫刻も。
佐川美術館滋賀県守山市。その気になれば行けるはず。
京都や奈良まで出かけるのも億劫になってきた自分にとっては、
少し難しいけれど、そこまでの遠出が一つの目標。
会いに行こう、観に行こう、声なき声を聞きに行こう。
逝ってしまった人の作品の中に。
シルクロードまでは行けないけれど。

平山郁夫の旅―「仏教伝来」の道 シルクロード

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