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授業参観『雑草』の詩

雑草のうた

               鶴岡 千代子


せっかく 花を さかせても
せっかく 葉っぱを ひろげても
ふりむいていく 人はない
   それでも 平気さ みんなして
   むんむん草むら つくってく


どんなに のどが かわいても
どんなに ほこりを かぶっても
水など くれる 人はない
   それでも 平気さ 上むいて
   のびたいほうだい のびていく


オオバコ ハコベ ヒメジョオン
ちゃんと 名前が ついてても
よびかけてくる 人はない
   それでも平気さ いつだって
   きらきらしながら 生きていく


本日の5年生の授業参観。黒板一杯に書かれた詩。
小学校の先生の字の美しさ、板書の見事さにも驚かされるが、
生徒を指名して、要約した言葉を書き添えていく時の字の書き方、
視写を参考にしているのか、何とゆっくり字を書くことか。
コーラスリーディングをしているのが小学生らしい。
私の知らない『雑草』の詩。
最近はこういう教材を習うのかと、思い新た。


先生はよく準備された教案を下敷きに、
沢山の生徒を指名し、まだまだ幼く素直に意欲的に
「はい」と手を挙げる子供たちの姿が、
何とも言えずかわいらしく、5年生とはいえ微笑ましい。
むろん娘も一生懸命手を挙げていた。


校長室前の展示コーナーに張り出されるような
お習字や絵は無いけれど、自分なりに毎日頑張っている。
音楽クラブの早朝練習も、めげずに何とか行っている。
今時の子供は発育がいい。どちらかというと女子の方が大きい。
身長に合った一人ひとり違う机と椅子で学ぶ姿、
最後に先生がどうしてこの詩を選んで授業したか解説。
そういえば、教室の後ろに張ってある写真は、
インターネットからプリントアウトされた、雑草の写真。


昔の授業参観の雰囲気と随分違う。
いちいち子供たちに授業の目的なんか言うのね。
まあ、時間がなければ言っちゃった方が早いか。
それにしても傷つき易い? 子供たちにタフであれと、
一生懸命生きても認められないことは多々あると、
予防線を張っている内容だと、そう受け取れちゃうけれど。
あの手この手でメッセージを送らなくちゃいけない。
表も裏も隠すも隠さないもあったもんじゃない、
メッセージの明確化。
まあ、それでも、とにもかくにも詩の授業、新鮮、新鮮。
若い先生が前でしゃべっている姿、新鮮、新鮮。


その後、体育館で林間学校の説明。
こんな梅雨時に何で? と思うのだけれど、
夏休み勤務を減らしたいのか、その他の仕事が山積なのか、
6月中に林間学校なんて、かーちゃんびっくりだよ。
でも、自分が小学校中学校の時に訪れたことのある場所に
娘が行くのかと思うと、嬉しいような恥ずかしいような、
うまく言えないけれど、複雑な気持ち。


そして、その説明会のさなかに局地的な大雨、
いわゆるゲリラ豪雨的な大雨が降ってきて、
屋根から雨音が鳴り響き、マイクを持った先生の声が
体育館の中では聞こえないという有様。
雨宿り時間を説明かに当てているのか、説明会が雨宿りになったのか。
とにもかくにも、1泊2日用のリュックを学校から借りることに。


保育園時代からの顔見知りのお母さん方とも再会、
みんなで借りれば怖くないで、申し込んでもまだ雨宿り。
おしゃべりしている間に、あれほど降っていた雨が上がって、
少々肌寒いくらい。気温は急激に変化。やれやれ。
とにかく親の勤めは果たした気分になり、帰宅。

形とくらしの雑草図鑑―見分ける、280種 (野外観察ハンドブック)

形とくらしの雑草図鑑―見分ける、280種 (野外観察ハンドブック)



小学生の頃、時代が時代のせいもあるのだろうけれど、
習った詩で覚えているのは大関松三郎の詩。
戦後民主主義、綴り方教育、生活詩の代表的な詩。
こういうものを習ったということ自体、自分の年齢にトシを感じる。
確か教科書に載っていたのは、


【山芋】
辛苦して掘った土の底から
大きな山芋を掘じくり出す。
出てくる出てくる でっかい山芋
でこでこと太った指のあいだに
しっかりと土を握って
どっしりと重たい山芋
おお、こうやって持ってみると
つあつあ(おとうさん)の手そっくりの山芋だ。
俺のも こんなになるのかなあ。


小学校4年だったか、3年だったか、もっと大きくて5・6年だったのか。
「辛苦」という言葉が難しかった記憶は残っているのに、
いつ習ったかが定かでない。そういえば、方言も印象深かった。
「つあつあ」が「おとっつあん」から来ているのだろうというのは、
容易に想像は付いたけれど、男の詩、労働の詩、父親と比較した詩、
詩そのものに「ごつごつした印象」を抱いたのを覚えている。


その、大関松三郎の「雑草」の詩は、ある意味「感傷」というか、
雑草に投影された彼自身の自分に対するまなざしが、
思春期の感傷ではなく、もっと苦々しい苦渋に満ちたもの、
若さとは別の老成、達観したまなざしの感じさせるのは、
戦争で若くして散った彼の人生を知ってしまっているからか。
何かしら、元気なエネルギーよりも胸痛むような詩、ではある。


【雑草】
おれは雑草になりたくないな
だれからもきらわれ
芽をだしても すぐひっこぬかれてしまう
やっと なっぱのかげにかくれて 大きくなったと思っても
ちょこっと こっそり咲かせた花がみつかれば
すぐ「こいつめ」と ひっこぬかれてしまうだれからもきらわれ
だれからもにくまれ
たいひの山につみこまれて くさっていく
おれは こんな雑草になりたくないな
しかし どこから種がとんでくるんか
取っても 取ってもよくもまあ たえないものだ
かわいがられている野菜なんかより
よっぽど丈夫な根っこをはって生えてくる雑草
強い雑草
強くて にくまれもんの雑草


その後、習ったのだったか問題集か定かでない、
まったく別の『雑草』の詩が、これ。


雑草           北川冬彦

     雑草が 
     あたりかまわず
     伸びほうだいに伸びている。
     このけしきは胸のすく思いだ、
     人に踏まれたりしていたのが
     いつのまにか
     人のひざを没するほどに伸びている。
     ところによっては
     人の姿さえ見失うほど
     深いところがある。
     このけしきは胸のすく思いだ、
     伸びはびこれるときは
     どしどし伸びひろがるがいい。
     そして見ばえはしなくとも
     豊かな花をどっさり咲かせることだ。


ストレートに鉛筆の線が見えてくるような気持ちになるくらい、
自分の気持ちをぶつけるように書いていた大関松三郎と異なり、
まあ、そんなふうに生きていけばいいさ、
生きられたらラッキーだね、(せいぜいがんばんなよ、
僕たちの時代はそうではなかったからね)と、
声援と同時に諦念さえ感じさせるような、
今となってはそんなイメージさえ感じられる、北川冬彦の詩。
これは、死なずに成長した少年ではなくて、青年、
いや成年、中年のまなざしがあるのだろうか?


娘の授業参観の詩に、「雑草」をあれこれ思い出した今日。