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オルメカ文明展

オルメカ。いや、機械ではない。
古代文化、マヤ以前のメキシコ文化とされる。
私の頭の中では30年以上も響いている固有名詞の一つだが、
それはあの『未来への遺産』で、覚えたからだ。
自分のあずかり知らぬ巨石文明、それも、マヤやインカとは異なる、
それ以前の文化を知った思春期の頃、それまで抱いていた
古代文明のイメージに新たなものが重なる喜び。
『古代メキシコ オルメカ文明展〜マヤへの道』


私はまだ南アメリカに足を踏み入れたことがない。
出来れば自分の目で古代アステカ文明、マヤやインカ、
空中都市といわれたマチュピチュ、そういう所に出かけたい、
1度は観たいと思いつつ、この年齢。
長時間の旅行に耐えられるような感じではなくなってきた。
そんな私が電車に乗って家族でオルメカ展。
プチ南アメリカへの旅。


心騒ぐ。古代文明、アステカ・マヤと言えば当然インカ文明も連想。
オルメカ。大好きだった番組『未来への遺産』で覚えたオルメカ。
懐かしい日々の名残オルメカ。イメージはドンとした巨石の顔。
以来、30年以上オルメカのイメージは巨石頭部像のまま、京で再会。
私たち家族がよく訪れる、京都文化博物館にて展覧会。
絵はそれほどでも好きではない家人、こういうのは平気らしい。
自分から見に行ってもいいと言ってくれたので、渡りに船。


午後のおやつ時間も過ぎて着いてみれば、
折しもメキシコの音楽が始まったばかり。
聞きたいのは山々だが、今日はこの後の予定もある。
文化博物館には別館(国の重要文化財・旧日本銀行京都支店の建物)があり、
様々な催し、コンサートなどが行われている。それを横目で見ながら、本会場へ。
何と言っても日本初のオルメカ展なのだから。

懐かしい巨石と再会。
子供の頃に見た映像の実物が目の前にある。
しかし、どうやってここまで運んで来たのか。
ジャガーの剥製、その大きさと迫力にびっくり。
飛び掛られたらたまらない。この動物を神と崇めたのもわかる。
神像はジャガー神というか、人間とジャガー合体。
反対に人間は小さな塑像だったり、
デフォルメされた独特のベビーフェイス。


力強さを感じさせるのは、例の巨石頭部像。
さすがにレプリカの質感は愛想が無いけれど、
拓本展示の奇妙な像は、マヤやアステカの彫刻・塑像を思わせる。


家人も私もそれぞれ解説テープを借りて、じっくり見学。
石と土で出来た人形、つるつるに磨かれた何本もの石斧、
不可思議な意匠の拓本、ベビーフェイスと称される歪んだような、
笑っているような幼い表情を見せる顔。
極端にデフォルメされた人間、ジャガーと一体化した神像、王族。


不思議なマヤのカレンダー。
その驚異的な天文学から生み出された暦。
人間を人類をどんな目で見つめていたのか、不思議な暦。
長期暦、短期暦、二つの暦を使い分けること自体はともかく、
その時間を見つめるスパンとキャパシティに驚かされる。
何と言っても、一つの時期を5000年余りで捉えているのだから。
天文と建築に優れた民族は、自然を観測しながらどのような哲学を得ていたのか。
時間の流れを、未来を捉えていたのか。


彼らの長期暦で見る限り、
私たちは彼らと同じ時代を生きていることになる。
オルメカの、マヤの、古代の人々と同じカレンダー上に生きていることに。
そして、この長期暦の今のサイクルの最後が2012年12月23日だとか。
私たち家族を含めて、つつがなく何年か生きていれば、
二つの長期暦にまたがって生きていけるわけ。
これは凄い。

メキシコ/マヤ&アステカ (写真でわかる謎への旅)

メキシコ/マヤ&アステカ (写真でわかる謎への旅)


娘は娘なりに鑑賞。大人は音声ガイドに従って鑑賞。
鑑賞の度合いに差はあれど、デザインとしては個性的なオルメカ、
もとい、広く知れ渡った南米独特のマヤ・アステカのデザイン、
色彩はナスカ文明展の時と同じように、興味を引いたらしい。
土産物を物色する中に、マヤのカレンダーを模したマグネットが。


少年誌でよく特集された、古代文明、消え去った古代帝国。
今に引き継がれる文明を先取りしていたとされる不思議な図柄、絵。
そこに示された古代の乗り物・謎の物体はUFO、ロケット?
描かれる人物は宇宙人、人間、神官?
そんな記事をわくわくしながら読んでいたっけ。
一気に文明の花開くはずも無く、さきがけ、母体ともなった文明、
宗教観、それはどこから来たのか。


いずこより来たりていずこに去り行くものなのか。
それはロマンチックな空想を掻き立てた。
古代文明を探す熱暑のジャングルを迷走する旅ではなく、
単に未知の世界が両手を広げて待っているような、
そんな甘い幻想にとらわれていたのだけれど…。


ヒスイの品々や仮面は今までも別の展示で紹介されており、
もっと衝撃的・印象的な遺跡や遺品を見ているので驚かなかった。
が、このヒスイをどうやって磨いたのか。
余りにも多くの石斧。その磨き上げられた形、色艶。
どうやってこれをこの形状に仕上げ、どんな思いで埋めたのか、
作る情熱、崇め奉る信仰、その心的エネルギーの大きさに感じ入る。

今の時代、人間の何が何を作り上げているだろう。
心の世界に関するものよりも、欲望にのみ沿っている物品、
敬虔なる信仰や熱烈なる信心に沿うて、何が生み出されているだろう。
遺跡や遺品に垣間見る品々は、余りにも寡黙だが余りにも饒舌だ。
寡黙な饒舌。その存在感に圧倒されながら、京都から大阪に戻る。
今夜は淀川の花火。メキシコから淀川まで。
家族の週末はまだまだこれから。

セミージャス・レベルデス

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古代マヤ・アステカ不可思議大全

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