Festina Lente2

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雲太和二京三

葉月八月も残り2週間となった。
夏休み期間、お盆などというものは、待ち焦がれている時が最も楽しい。
過ぎてしまうと一瞬。何だかあっけないほどだ。
去年は家族旅行を控えている時期だったので残り福的な感じで、
まだまだ心晴れやかだったが、ただでさえ厚い今年の夏、
仕事が控えているかと思うと週明けは気持ちが重い。


そんな夜、ふとTVで耳にした言葉、「うんたわにきょうさん」
何だ、それ? ウンタワニキョウサン、何の呪文?
文字で書くとこうなるらしい、雲太 和二 京三。
まだ何のことやらわからない。出雲太郎 大和二郎 京三郎。
何となく見当が付いてきた。出雲大社、 東大寺、 京都大極殿


ははあ、坂東太郎だの、四国三郎というあの類(たぐい)か。
あれ?次郎は何だったっけ? 筑紫次郎だったか。
利根川筑後川吉野川。これはよく聞いていたけれど、
「うんたわにきょうさん」は今日初めて知った。
どこかで読んだり聞いたりしたことがあったのかもしれないが、
記憶に残っていない。


国譲りに当たって望んだことが、「柱は高く太く 板は厚く広く」。
そりゃあ引退するとはいえ、大国主命の御大、
ちゃちな所には納まりたくないはず。
それなりの地所・待遇でないと心穏やかならずだろう。
どれほど神聖な神話の形で描かれていたとしても、
征服・制圧された立場であることには変わらない、
出雲の神々とその末裔。
古事記日本書紀の世界の歴史の彼方。


国見が出来るように、全てを見晴るかす事が出来るように、
その高く穢れなき神殿を所望したのか。
実質的な権力とは引き換えに、宗教的な影響力を持つ、
祟り為す神々、この国の唯一の「神あり月」を司る地、出雲。
実際の遺跡からも相当の威容を誇っていたというお社を想像するだけで、
古代人のエネルギーが渦巻き立ち上ってくるような気がする、出雲。

葬られた王朝―古代出雲の謎を解く

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出雲国風土記 (講談社学術文庫)

出雲国風土記 (講談社学術文庫)


昔の人は様々なことを覚える手習い歌、口遊(くちずさみ)に、
このような呪文のような言葉を唱えていたらしい。
『雲太、和二、京三。
 今案、雲太謂出雲国城築明神神殿。
 和二謂大和国東大寺大仏殿。京三謂大極殿、八省。』
原典を解説した本は現在品切れ。見てみたいものだ。


「夜道で死人に会ったときに唱える歌」や「三大建築物」「三大橋」
そういったものが10世紀の末に子供の勉強用の本としてまとめられていた。
パソコンも印刷された本も無い時代、一冊一冊自分の手で書き写して留め置き、
繰り返し諳んじて、知識を血肉にした時代、見聞き考え知恵を蓄えた昔。


一生京の都から出ることも無く、出雲大社をも見ること叶わず、
京都周辺の寺社を参ることが普通だったろうに、
ウンタワニキョウサン、出雲大社を一番に置く呪文のような言葉。
をれを口ずさんでいた人々。
高く壮大なお社の順番というけれど、
士農工商のように虐げられ搾取された人々を、
身分制度の上では武士の下に置いて工商より格上とした、
言葉の上でのトリックを感じさせないでもない。


大和朝廷の奈良や京都を中心とした世界よりも、遥かに格上、
それが出雲なのですよと口ずさむことにより、呪詛ならぬ寿ぎとなる、
そんなイメージを感じさせるウンタワニキョウサン、
雲太、和二、京三。
何故か舌の上で転がしていると、別の呪文が蘇ってくる。
もはや漢字で意味を成さず、カタカナの呪詛のようになってしまった言葉、
クナシリハボマイエトロフシコタン。


何でも終戦(敗戦)記念日は8月15日だと思っていたのに、
ロシア(旧ソ連)は9月の頭まで日本を攻め続け、
北方領土を占領し、日本人を追い出してから終戦としたので、
8月15日ではなく9月初めを戦勝記念日としているのだとか。
勝った人々はいつでも自分を美化、正当化する。


何が何でも不凍港が欲しかったロシア、資源に貪欲なロシアが、
南下政策を取るためにはどんなことでもするのだと、
昔、世界史の時間に習ったことが、ふと蘇る。
同じように、出雲の古代人を攻めて支配下に置いた大和側が、
いつも何らかの形で呪詛と寿ぎを表裏一体化させているように。


国後歯舞択捉色丹、クナシリハボマイエトロフシコタン、
敗戦記念日を意識した成果、北方領土四島も呪文のような言葉になった。
私たち空遠い存在になり続けている、白抜きの地図。
締結されていない和平条約。
国際法を無視して奪い取られた北の果て。
もはや戦後ではないとい言い切れない現実の一つ。


昨日のラジオから、敗戦から、ウンタワニキョウサンから、
一繋がりになって心に沈殿する、負けたものは報われない、
祭り上げられてもその無念は消えはしない、哀しさ。
終戦だなんて、戦いは終わりはしない。
終わらそうとは思うんだろうけれど。
日々の生活の中にも、小さな火種が隠されていて、
あちこちやけどを負わせ、毎日に焼け焦げを作りながら、
何とか取り繕っているのだから。
その哀しさを、口ずさむ、舌の上で転がす、
そんな呪文のような言葉、ウンタワニキョウサン。
そして今の時代の、クナシリハボマイエトロフシコタン。

日本の国境 (新潮新書)

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北方領土交渉秘録―失われた五度の機会

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