Festina Lente2

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ゲゲゲの女房のミシン

大抵ラジオで聞くことが多い朝ドラこと、連続テレビ小説
たまに画面を見れば食卓の様子、壁やガラス障子、調度品、
何もかもが昭和テイストに溢れていて懐かしい。
電気釜、皿、小物はもちろん、役者さんの洋服も、
当時こんな感じのノースリーブが流行、
こんなポケットのついたエプロンもあった、
どれもこれも似たようなものを、家庭科の時間に縫った。
型紙から作って作ったスカート、まつり縫いに熱中。
電気ミシンの調節の難しい速さに慄き、
家の古い足踏みミシンの緩んだ皮ベルトさえも懐かしく。


主人公の弟がミシンの営業をして云々のくだり。
そうそう、あの頃は油さしも脇に置いてあった。
機械の手入れをしながら大切に使っていたっけ。
老母がシンガーの足踏みミシンで、当時縫ってくれた洋服、
端切れを寄せ集めたり、特価品―傷ものの柄をデザインで隠し、
安く仕上げてせっせと縫ってくれた夏のワンピース。
普段着のムームー。涼しいサッカー地のパジャマ、
レースの小花が散ったしゃれたパフスリーブは、
家族で万博に出かけた折に来た外出着。


今の時代既製服が溢れていて、手作りの洋服どころか、
フリース全盛で手編みの服さえ見向きもされない。
着ようともしない。作ろうとも思わない時代になった。
しかし、番組を見ているとこういう服があった、
着せてもらった、縫ってもらったと思い出されてならない。


戦前・戦後の混乱期に教育を受け、選択科目で家庭科の裁縫があり、
洋服も和服も一通り縫えるどころか、布団の綿入れも半纏も縫える。
編み物はもちろん、鈎針も棒針もレース編みもこなす親を持つと、
娘は何にもできないろくでなしに育つ。
既製服のなかった時代、子供の着ている服は親の手作りが当たり前。


公立なのに制服があった小学校から帰って来て、
すぐにうがい手洗い。着替えて台所に行くと、
卵1個が入っている手作りのミルクセーキを飲まされて、
(甘くて苦手だったが)その後、遊んだり習い事に行ったり。
母はいつも何か作っていてミシンの前にいたものだ。
冬は編み機の前に座っていることも。


そんな、昭和の暮らしを思い出させる『ゲゲゲの女房』。
きっと私以上の年齢には懐かしさが一杯なのだろうけれど、
ミシンのエピソード一つにも心動かされるはずだけれど、
今時の若い人には画面を見ても何も・・・なのかも。
職場では話題にも上がらない『ゲゲゲの女房
妖怪が恋しいのではなくて、昭和という時代が恋しい私。


消えてしまう戦争の、妖怪の、昭和の、過ぎ去っていく何もかも。
昨日、一昨日のアニメの特集にしても、
自分を苛むような、辛くて苦い若い頃の思い出。
仕事をしながら昭和が平成になってしまって、
とうとう子供時代には後戻りできないのだと、
つくづく思い知らされたあの頃を、懐かしく哀しく思い出す。


番組の手作りの洋服の向こうに、ミシンを踏んでいた母の、
元気だった母の、今の私よりもずっとずっと若かった母の、
その面影を見出して、しみじみとする私。

いつも着たい手ぬいの大人服 (レディブティックシリーズno.3013)

いつも着たい手ぬいの大人服 (レディブティックシリーズno.3013)