Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

おめでとう11歳

月曜日。ハッピィバアスディ、11歳。
じいじとばあばから金一封。お寿司とケーキの差し入れ。
18:45 水泳教室のお迎え、
19:00 運動会のための新しい体操服購入。
19:30 帰宅 夕食 
21:00 ケーキを食べる 


2人だけで簡単に済ませるバースデー。
前々夜祭、週末にイベントを済ませてしまったため、
何だか本番当日のあっさり気味の「落差」が大きい。


プレゼントも今年は色々あって、お洋服中心。
でも、バーゲンで見つけてくるブランドも気に入ってくれていて、
かーちゃんとしては嬉しい限り。
着崩すのはいつでもできる。シックで普通の服を着こなせる、
まともなTPOの感覚を今のうちに持っていて欲しい。
着られればいいというレベルの服は、普段着。
何かある時にきちんとした装いができる服、ちょっとしたよそ行き。
そんな風にファッションを捉えるかーちゃんは古いのかもしれないけれど、
プレゼントで貰う服は、少し気合が入っていてもいい。


初めてケーキを予約しなかった秋。
子供用シャンパンも買わなかった。
今年はメッセージプレートもなし、丸いホールケーキではなく、
じーちゃん差し入れのショートケーキ、アラカルトだが、
娘は色んな味が楽しめるとご満悦。前向き思考、よしよし。
実際、見た目ばかり華やかなでっかい丸いケーキ。
食べ切るのに苦労するものね、飽きてしまって。
蝋燭を吹き消して願い事、写真を撮る、そんなイベント向きケーキ。
そういうものを好まなくなってきているのか、背伸びしているのか。
10本以上の蝋燭を立てるのは、確かにもう見苦しいのかも知れないけれど。


もう11歳か・・・。
かーちゃんは嬉しいような哀しいような寂しいような。
足の大きさはほぼ同じ。かろうじて身長と体重は勝っているものの。
私の若さはどんどん娘に。まあ、それは本望だけれど、
気力と体力はまだまだ持っていたいぞ、
あ、もちろん経済力も。


娘よ、君から貰ったものは大きい。
家族が生きる希望、支え、気力の源、それを実感させてくれた娘よ。
しかし、これからどうなるのだろう。
昔なら初老といってもおかしくない、今だから熟年などという、
そんな年になっているかーちゃんは、少し不安。
これから先の時間を思うと、心もとない限り。
そして、自分の11歳が思い出せない。余りにも昔過ぎて。
自分の11歳のプラス面が思い出せない。
君を見ながら、自分はどんな子供だったんだろうと、
今更ながら親に申し訳ない気にもなるのだが・・・。


どんな歴史が繰り返すというのだろう。
どんな未来が待っているというのだろう。
君が私という母親を選んで、天から降りて来たように、
産めよ育てよ、その先は? 
これからどんな関係でやっていけるだろう、
喜びと同時に、考えてもどうしようもない不安ばかりが広がる。

生まれてきてくれて、ありがとう

生まれてきてくれて、ありがとう

子どもは親を選んで生まれてくる

子どもは親を選んで生まれてくる



娘を産んだのも月曜日だった。
予定日、全然何とも無い。陣痛も来ない。
いつものようにマタニティスイミングに出かけ、みんなに驚かれた。
予定日を過ぎて1週間、大事をとって入院となった。
超高齢出産の妊婦の初産の産道は固い。
自分にとっては最初で最後の体験の色んな処方も、痛くて辛いものだった。
体のために毎日誘発を掛ける訳には行かない。
2日ずつ間をあけて3回目の誘発で生まれてきた娘。
前日の日曜日に生まれて来ていれば、とーちゃんも立ち会えたのに。


そう、君はお母さんのお腹の中の居心地が良かったのねとみんなに言われた。
娘よ、君は生まれてくる前からのんびり屋さん。
かーちゃんは予定日よりも2週間ほど早く生まれて、2700グラムだったというのに、
君は2週間遅れでおとめ座からてんびん座に鞍替えして、
3632グラムのビッグベビーで生まれてきた。


お陰で元気で病気らしい病気もせず大きくなった。
高齢のかーちゃんに親孝行な、すくすく成長組。
それに甘えてこの頃はスキンシップも少なくなりがち。
どんどん先に行く君に、仕事にかまけて追いつけないかーちゃん。
君のことがわからなくなるかーちゃん。
友達との繋がりを求めて、君がどんな風に変化するか、
「朱に交われば赤くなる」ことが心配でたまらないかーちゃん。


単純に「這えば立て、立てば歩め」だけでは済まないお年頃。
思春期の入り口に立つ君の一挙手一投足に、やや鈍感なかーちゃん。
仕事に追われて娘を見失いがちな、そんな不安に駆られる。
この春から手足がすんなり伸びて、余りにもどんどん伸びて、
大きさはサイズ的にはほぼ変わらない。
幼い頃から大きめで育ってきて、幼児体型時代が短く、
わが娘ながら何でも着こなせる、嬉しくも眩しい娘よ。


読む本も、言葉遣いもどんどん変わってきて、
妙に醒めて、距離ができて、それでも時々べたべた甘えてくる。
その距離感をどのように保てばいいか、離れていればいいか、
考え過ぎて何もできない、同じ家の中に居てもわからない。
どんな風に接していけばいいのか、かーちゃんの方がわからなくなる。
時代の変化が激しい今の半世紀に近い年の差は、
昔の半世紀以上の開きと同じ。


仕事のカラー、色眼鏡で、娘である自分の子供を推し量り、
押さえつけているのではないかと、気がかり。
自由という名の放任で育てているのではないかと、
自主性というお任せの好き勝手をさせているのではないかと、
不安が募るこの時期、この今の時期。
もしくは飼い殺しにしていないかと、気になってしまう。
幼児の頃の成長を一つ一つ喜ぶ純粋な親の喜びは遥か後ろに、
これからの疾風怒涛の時期を思い描いて、
ろくでもない予期不安が得意のかーちゃんは、少々思い悩む。


これでよかったのだろうか。
あれもこれもしてやれなかったこと、
自分ができなかったこと、いい加減に済ませてきたこと、
色んなことを思って、忸怩たる思いに苛まれる。
君の健やかな笑顔は、子供らしいストレートな微笑みは、
含羞を帯びた少女の、翳りを持ったまなざしを、
突き放すような物言いに変わりつつある。
だから、これを成長と見て取ればいいのか、思い悩む。
そんなかーちゃんの、かーちゃんになった記念日11年目の今日。


娘よ、誕生日おめでとう。
人生最初のぞろ目だよ。11歳のお誕生日、おめでとう。

ママを守るために生まれてきたよ!

ママを守るために生まれてきたよ!

イグアナの娘 (小学館文庫)

イグアナの娘 (小学館文庫)