Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

娘は14歳

娘の14歳の誕生日。先日家人が居た時とは別に、プレゼント。
家人からは録音できるラジオ来る。
娘の学校は文化祭。文化委員の娘はそれなりに頑張ったよう。
でも、クラブがねえ。


そう、この夏の発表会を私が見たばっかりに、
担任の先生に顧問の指導について相談したばっかりに、
結局は、亀裂が走ってクラブを辞めてしまったこの夏。
娘は文化祭、どれぐらい活躍できただろうか。
文化委員としての役割を、担任の先生はどれくらい後押ししてくれただろうか。


まあ、クラブ顧問と担任ならば、担任の方が影響力が強いのが幸いして、
どうにかこうにか収まっているんだろうけれど、
かーちゃんとしてはどうにもできない世界だしなあ。
そんなことを考えていると、親は私の中学生時代、
どんな思いで眺めていたのだろうかと、それなりに気になる。
仕事は忙しいが、それとこれとは別。
何と言っても娘の成長、子どもの成長は、親にとっても「節目」のはずなのだ。


14歳、私にとっての14歳はどんな年だったろう?
4月生まれの私にとって、誕生日以降は新しい年度替わりと並行して、
何かが新しく変わっていく、変わっていかなければならない、変えなければ、
そんな思いが強かったけれど、9月も末に生まれた娘にとって、
この時期の14歳の区切りが、誕生日で区切られる季節が
どんな意味を持つというのだろう。
そんなことを考えてしまう今日。


幼い頃の誕生日のように、一つ一つ大きくなる実感が薄れてきて、
身長も余り変わらなくなってきた娘の、誕生日、それをどんな風に
受け止めて良いのか、わからなくなってきたような、そんなかーちゃん。
ただただひたすら、健やかに成長して欲しいという盲目的な願いの元、
その漠然とした願いに、どんな具体性を与えればいいのか、
突きつけられているような、試されているような、そんな気がする。


とにかく、14歳おめでとう。おめでとう。おめでとう。
かーちゃん歴14年になった私、頑張れ。
(2016/03/06 補足)

14歳の君へ―どう考えどう生きるか

14歳の君へ―どう考えどう生きるか

14歳のための時間論

14歳のための時間論