Festina Lente2

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『ロボジー』前後

ココロ弱いかーちゃんを察してか、
とーちゃんの差し入れは『テルマエ・ロマエ』第一巻。
兼ねてから話題作。が、なるべく漫画は遠ざけていようと決心していた、
そのはなから、親が漫画を手にしているのだから如何ともし難い。
こんな環境で我が子は勉強をしていることになる。
おまけに今日本日、午後から時間が空いたら気分転換に、
『ロボジー』を見るということになっていて、予定通りの午後を過ごした。



家族全員揃って、現実逃避の傾向が強い・・・?
映画も同様に、社長からの無理難題押しつけを跳ね返すこともできず、
窓際族めいた3人組が創り上げたロボットは些細なことから真っ逆さま、
完全におシャカになったのを隠して、中に人間を入れて、
ロボットの振りをさせるという、とんでもない展開。
あながち私たち家族の状況の比喩ではないか? 
物事を正面からとらえず、少々しんどいこと辛いことは、
面白おかしくやり過ごしてしまおうという・・・。


映画の中に、真剣にロボット工学に取り組む女の子がいて、
目をきらきら輝かせている、その様子が何ともかわいくてかわいくて・・・。
夢に向かってひたむきに生きていて、「変人」といわれようと、
「特別」と見なされようと、いっこうに気にすることもなく前向きな、
そんな若さや純粋さが懐かしく、思わずため息。


なのに、正直に「中に人が入っているんです。(それもおじいさんが・・・)」
と言えない、その背景が面白くて面白くて。
また、ロボット役のおじいさんなりの我が儘な振る舞いや、
頑固な様子、それなりに色々思うことがあって、
孫たちとの接点を生身の人間としてではなく、
話題のロボットとして持つところが、結構ホロリとさせられて。


年を取ったら、一人暮らしになったら、自分の居場所って何なんだろう?
どうやって人と関わっていけるのだろう? 
そんなこともしみじみ考えさせられたりして。
ああ、娘が子供を産んで育てて、そんな風に家庭を持つまで、
自分の寿命があるかなあなんて、超高齢出産のかーちゃんとしては悩ましく。


この監督の映画は『ウォーター・ボーイズ』にしても、
『スィング・ガールズ』にしても、個人とグループの成長譚が背景。
今回もそうだと思って安心して見ていられる部分は大きい。
しかし、『ハッピー・フライト』のように、
仕事の現場というものは危険がつきもので、失敗、ミスは許されない。
端から見て滑稽に見えるようなことでも、本人たちにはのっぴきならぬことであり、
その落差が笑いを誘う仕掛けではあるけれど、
なかなかにほろ苦く、涙ぐましい。そこに観客はほだされる。

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

モーレツ!イタリア家族 (ワイドKC)

モーレツ!イタリア家族 (ワイドKC)


憧れのロボットの世界。自分の未来、自分の力を試す世界、
そういう将来を思い描いて、進んでいけると思っていた矢先、
現場の人間から「向いてないよ」なんて心ない言葉を掛けられて、
やけになっている様子。それはそれでかわいく、
学生の立場の人には申し訳ないが、積んだ石を土台から崩されて、
完膚無きまでに叩きのめされることなんて、現場ではよくある話で珍しくも何ともない。


だから、かわいそうに思うけれど、
それぐらいで拗ねるなんて・・・という矢先、
このロボットのからくりを探り当てて、つけ回して真相に迫ろうとする当たり、
色んなすったもんだがあったあげく、彼女の思いを叶えるべく、
希望の就職を果たしたにもかかわらず、またまたそのロボットが・・・という、
円環神話的な終わり方。ループになってエンディング=オープニング、
新しい世界、ドラマ。一粒で二度美味しいを予感。
再びお払い箱になったはずのおじいちゃんが、再び「ロボット」として
活躍する場面を期待させるその終わり方。何ともほのぼのと笑える。


機械の力、科学の力ではどうしようもないココロの問題、
そういうものを正面から四角四面に取り扱うのではなく、
こういう取り上げ方も可能なんだな、という見本。
そんな風にも思う。
家族の関係の問題、微妙で他人には入り込めない、
それでいて当事者の寂しさや虚しさを大々的に取り上げれば、
「誰でもそう感じるんだから、大騒ぎするほどのことではないじゃないか」
と言われそうな、共通項。
それを、サラリと掬い上げて、切り取ってみせる手法は鮮やかだ。


老いた身であっても、存在価値は欲しい。自分を認めてくれる場所が欲しい。
家族から必要とされたい。孫や子供から尊敬のまなざしを受けたい。
他人から是非にと請われるような立場・影響力を持つ、そんな自分でありたい。
そんな映画の組み立てを見ていると、
ああ、どんな世界でもそう、立場や年齢は違えど、
どんな世界でもそう、そうなんだと切なくなる。


競争のトップに立とうが、竜頭蛇尾、トカゲのしっぽで切り離されようが、
濡れ落ち葉、空の巣症候群、昇進鬱、ノルマに押しつぶされようが、
何かに一生懸命になれて、家族に必要とされていて、よくやったと上から認められて、
これが無くして何の世の中。
成果が目で確かめられ、(これができない仕事は達成感が湧かないし、実感が希薄)
必要とされ、かつ必要である関係が継続し、経済的にも問題がない。
そういう世の中であれば、関係性を保てれば生きていくことは楽だが、
実際はそうではない、だからこそ、映画の中に一瞬の理想を見いだす。


完璧ではなくても笑いと涙のある生活、それが人生の一コマ、
こんな一コマがあれば人生悪くないと思えるような、断面図。
現実逃避にしか過ぎないんじゃないのと思いながら、はまり込んでしまう。
親子三人、映画館。未来のことは考えない。とりあえず、今は『ロボジー
明日のことは明日考えよう。今日のことは今日思い煩うだけにしたい。
結果は見えている。
かーちゃんは、見えているだけに哀しい。

映画ロボジー取扱説明書

映画ロボジー取扱説明書

小説ロボジー

小説ロボジー