Festina Lente2

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さよなら水泳教室

娘は泳ぐのが得意だ。選手とまでは行かないが、
保育園時代から水泳教室に通い続けて8年。
週に一度水に入るの歯生活リズムの一つになっていて、
運動クラブや走り込みをしない分、軟弱文学少女の体力を維持、
唯一コンプレックスを持たないスポーツとして、娘を支え続けてきた。


何しろ子供というものは、似て欲しくないところばかり似る。
浜育ちの私が泳ぐことは得意とまで行かなくても、好きなように、
球技と名の付くもの、マット運動、のぼり棒に鉄棒、
全て苦手なように(卓球とテニスは除く)、娘も得意ではない。
保育園時代、ドッジボールで逃げ回っていた頃から、
「ボールが怖い」という感覚は遺伝するのだろうかと悩んだくらい。


しかし、水の中では個人でメドレーが出来る。
ターンだってお手の物。陸上で早く走れなくても、
水の中の方が普通の人より速く泳げる、その自信。
各種目で出来不出来はあれど、私が唯一泳げないバタフライ。
それが一番好きだと豪語する娘に育ってくれた。


意識して水泳を習わせたというよりも、自分自身、運動神経が無い分、
水泳なら大丈夫、太めでも何でも、水の中なら大丈夫という、
浜育ちの妙な安心感が、水のある場所での運動を選んだのかもしれない。
娘が生まれる前、超高齢出産だった私は安定期に入ると
すぐに診断書片手にマタニティスイミングに通い、
娘が生まれて半年以上経つと、親子ベビースイミングに参加。
なけなしの体力・筋力をスイミングに頼ってきた。


今から思えば職場の締め付けも緩く、融通が利いて、
仕事をしてマタニティスイミングに通い、戻ってまた仕事、
そういうことが出来た次代だった。
マタニティスイミングは主に昼前後、
 妊婦の体調が安定する時間帯に行われることが多いから、
 仕事を休むよりも途中で抜けて戻れるのはありがたかった)


そういうわけで、娘も機嫌よく小さいときから泳ぎ続け、
ふっくらとしてきた思春期になっても、長い手足だけは
水泳の賜物と感謝してきたし、水泳に行きたくないなど言わず、
機嫌よく通っていたのは基礎体力にも繋がると、
嬉しく思っていたのだが、中学生になった途端に止める事に。

ゆっくりきっぱりお母さんになる (赤ちゃんとママ マタニティライフシリーズ)

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0~5歳児の水あそびプールあそび―水慣れから泳ぎにつながるあそびがいっぱい (保育実践シリーズ)

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私たちが水泳をやめたいのではなく、水泳教室そのものが
スポーツクラブそのものが無くなってしまったのだ。
この4月で閉鎖されてしまう。
少子化の影響なのか、いや、最近のさばってきた、
全国展開のチェーン店のスポーツクラブのせいだろう。
棲み分けしてくれていればいいのに。


何故ならこのスポーツクラブは同じ駅の別のビルに入っていて、
隣の駅にもあり、そこは大人専用。
規模の大きさで負けていたけれど、ここは30年近くこの場所で、
駅ができてニュータウンが発展していく最初から根付いた、
老舗のスポーツクラブだっただけに、残念でならない。


泳ぐ娘をガラス越しに眺めた日々。お着替えを手伝い、
一緒に寄り道して帰った頃。
一人で出掛けるようになり、仕事帰りにお迎え。
月曜だけは必死に仕事を切り上げ、「お迎え」。
いつの間にか30級まで上がり、タイムに伸び悩み、
周囲が塾やなんやかんやと止めて行く中、
とうとう中学生になるまで続けた水泳教室。
スイミングクラブといった方が、当節風かな。


ここからお友達と、2泊3日のキャンプにも行った。
記録会には2回出てみた。
タイムを競いながら、他の地域の教室とも競う。
仲間意識、教室同士の結束、様々な応援、
本格的な施設、なみはやドームでの見学をかーちゃんは忘れない。
でも、室内プール育ちなので海は知らないまま。
(赤ちゃんの時に泳いでいるんだけれどねえ)


ありがとう。長い間。娘はしなやかな手足、基本的な体力、
メリハリのある生活の中で、大きくなれた。
珠算や習字、公文など、勉強に関係のある習い事はさせず、
水泳とオルガン教室だけはずっと続けてきた。
水泳とピアノに変わってからも、月曜水泳のリズムは、
週の初めをだらだら過ごさず、生活にメリハリを与えてくれていた。


ありがとう水泳教室。ありがとう、沢山のコーチ、スタッフ。
大きな怪我も無く、事故も無く、泳ぎ続けて来れた8年間。
これからの人生の大きな財産。
いつかここで培ったことの大きさが、娘にわかる日が来る。
一つのことに打ち込んで、体力を維持してきたことの、
その大きさが、いつかきっと。