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パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海

14日の映画鑑賞。tohoの日なので。
久しぶりに娘と映画の日。前作の続きはどんなものか。
パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海」という長い題名。
娘曰く、原作シリーズを途中から読んだので話が頭の中でごちゃごちゃだと言う。
私自身、映画の題名は短い方がいい。印象的で覚えやすいから。
なのに、主人公の名前だけでは物語性に欠けるので、
どうしてもその背景にあるオリンポスの神々をくっつけて、
更に今回の戦いの場所まで副題に持ってくる。
何とも回りくどい題名の付け方だ。


前作が「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」だから、その続編。
原題はPercy Jackson: Sea of Monsters
なので、魔の海というのは上手な意訳ではある。
半神の名前が何だかありふれた人の名前なので、迫力に欠ける。
半神半人というのが正式な言い方らしい。
これまた元の言い方ではDEMIGODSと表現されているのだが、
日本語訳では単に「ハーフ」。
これまた分かり易過ぎて、迫力も威厳の欠片もない。


常にモンスターに襲われる危険にある彼らは養成所で訓練を受けている。
しかし、神の能力を受け継いでいるとは思えないほどの、
非効率的な訓練で、そんな前近代的な武器を使っての訓練は
何の役に立つのだろうと突っ込みを入れたくなる。
超能力は、父神や母神から受け継いだはずの
特殊な能力を伸ばすための訓練というものは、
個別養成プロクラムというものは準備されていないのかと、
本気で茶々を入れたくなるほどのお粗末な訓練所。


オマケに今回の映画の冒頭でわかったのは、
訓練所に入る前に犠牲になったデミゴッドの死でもって、
森の木がバリアとなって訓練所全体を守っている。
その木に毒が盛られてバリアが無くなった訓練所が襲われるという、
何とも守りも薄い、神々の恩恵がどこにあるのかわからない、
そんな頼りない中でせめぎ合って生きる、
(下手すれば神の落とし子達は、神々にネグレクトされているのかと
 作りっぱなしの非を咎めたくなるような、そんな気さえしてくる)
主人公達が冒険する。


原作を読んでいないからわからないが、現代に生きる神々が
どのように21世紀と折り合いをつけているのか、
自分の子供達、神の血を引く子供達にとってどんな存在なのかが、
今一つ納得できないままに、親の尻ぬぐいなのか何なのか、
この冒険の意味はどこにあるのかと悩ましいまま話は進む。
子供達に危険な目を逢わせていいのか、親世代! と
情けなるのは私だけだろうか。


子供世代に当たる若い人たちは、この映画をどんな風に楽しんでいるのか。
もっとも、外国映画のナンセンスな笑い、仕掛け、
子供じみた特撮、ありきたりのモンスターはご愛敬としても、
これを見る大人は何を見所にすればいいのかなあ。
そして、柳の下の二匹目の泥鰌のみならず、
シリーズ物ゆえに続編を作れる美味しさをラストに持ってくる。
次はこれか、これが発端か? と示唆する場面を。


どの作品も相だけれどシリーズ化されて面白くなっていけばいいが、
惰性でまあ続きを見るかという、観客側の心理を利用して作られた映画、
そういうものが余りにも多いなあと感じてしまう。
映画そのものが非日常だから、その雰囲気が好きだから見るけれども、
この映画の中の半神半人が現実ならばやりきれない。
現実でなくてもあらゆる意味で親のハーフである子供という存在、
なかなか悩ましい、憂いが多い存在だとも言える。


神話の世界でなくても現実に、親の持っている価値観、
親が望んでも垣間見ることの出来なかった後悔や挫折、夢や希望を
否が応でも反映する形になって子育てが行われた結果、
似て欲しくない所ばかりが似て、似て欲しい所が似なかったりする、
そんな子供世代。
親の世代の葛藤や揉め事をどうにかしなければ、
自分たちが生きていけない。
そういう運命を予め背負わされて生まれてくる子供世代。
(ハリポタシリーズも結局そうだったよね。)


「若い世代に託す」と言えば聞こえはいいが、
丸投げとまでは行かなくとも、親世代には行動力が、活力が無い。
失われた部分を補うために生まれ育った次世代に賭けるしかない。
そんな構図が映画の中に、童話や小説の中に見て取れて、
そういう形で解決やカタルシスがあっていいものか、
本当にそれでいいのかと思ってしまう自分がいる。


そして、そんな自分は紛れもなく親世代に移行している。
娘であるよりも前に、もはや親であるべき筈なのだが、
さてさて、我が娘に対して何が出来ているのか。
ひたすら悩ましい。
気力体力が衰えつつあるかーちゃんは、たった一人のわが子、
多くの子供をこさえているオリンポスの神々とは異なり、
後にも先にも独りしか居ない娘を前に、複雑な思いで映画を鑑賞。

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々〈2〉魔海の冒険

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々〈2〉魔海の冒険