Festina Lente2

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「娑婆」が必要

9/1早々 非常にだるい会議が続く。けだるい午後。
思い通りになることなど、何一つ無い。
じっと聞いていると、余りにも胃が痛い意見の数々。
思い通りになることなど、何一つとして無い。
しかし、そこでやけになるのは、おかしい。
個人的な意見を持つのは必要。
しかし、今この場で言うべきことか、どうか。
一つの目標、GOALに向かって、時間も資源も、
使える機関も限られている時に、この瞬間に、
「それは私の仕事ではない。」「私はしたくない。」「私は嫌だ」
という台詞を吐いて、会議に臨んでいるのはどうなのか?
責めたい気持ちをただ抑え、ひたすら聞きに徹するポジション。


紙の節約と称して何の資料も与えられぬまま、
モニター画面を、いきなり見なければならない苦痛、
事後、手元に残る資料は、改定してまた後日という。
だから、最初から貰えれば、会議中に書き込んで訂正するって、
最初から資料が欲しい。最初からというより、もっと以前に。
手元の資料とモニターと、両方無ければ受身で聞き流してしまう?
いいや、それ以上に、消えていく画面を追えなければ、それまで?
これでいいのか? 
モニターはカラー画像中心でいいんじゃないか?
説明は、図表は、手元にどうして貰えないのだろう?
仮原稿では、そんなにまずいのだろうか? これが節約?


イライラを通り越して、やる気が無くなるこの瞬間。
直接関わっているあなた方が話し合っているのを、横で聞いている
この心苦しさ、やりきれなさ、事後を引き受けるものの虚しさよ。
意を尽くして述べ合うこともできず、
後手に回ることを憂えるばかりで、
ひたすら耐えて、岡目八目で見つめていなければならない、
今の立場、このポジション。直接プロジェクトに関わらない裏方。
会議の結果を見守るだけの、この立場。この件ではひたすら裏方。
しかし、別件ではブルドーザーの如く進まねばならぬ。
時間は限られている。資源は限られている。情報も・・・。
私の気力も体力も・・・、燃費よく走りたい。
燃費よく走りたいんだ・・・。

鬱屈して、仕事帰りに車検待ちのディーラーで手に取った新聞。
「娑婆とはサンスクリット語で忍耐ということ。」尼僧は語る。
「大勢の人と暮らしていく以上、
    自分の思い通りになる世界など無いのです。」

その言葉が目にも心にも痛い。・・・反省。


思い通りにはならない。そう。わかってはいるけれど・・・。
何とかして全く違う仕事を、うまく両立させたい。
全く違う部署の仕事をせめて三つ、同時進行させたい。
AとBの企画が一つずつ、Cは現状維持。
個人的な資格に関して二つ。家庭内では三つ。
頭の中が空回りする。思い通りにいかず、苛立ち
ついつい子供にまで当たってしまうことの多い、今日この頃。
反省。


―思い通りにならないからこそ、人は努力するし、
 感謝の心を持てるのに、今の社会はそうした基本になることを
 子供たちに教えていない。
 自分を抑える経験をさせていないから、
多くの人をたやすく傷つけてしまう。―
 尼僧は語る。


全くもって耳が痛い。
殺伐とした、ノルマに追われた、締め切りのある、見切り発車の
予定をこなすだけが求められる、本質を見失った仕事の中で、
「娑婆」で生きる私は、「娑婆」の本来の意味から遠く生きている。
「娑婆」で生きている。生かされていることを忘れて。
仕事、しごと、仕事、シゴト、仕事。
9月は始まったばかり。
切れそうになるのは短慮の至り、未熟な証拠。
謙虚に計画を立て直そう。動ける所は裏から回ろう。
無理せず、焦らず、今できる範囲で。
自分もまた数知れず支えられている。
その感謝の気持ちを忘れず、今週を乗り切ろう。
傾きかけた天秤を戻して。