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硫黄島からの手紙

映画と来れば、ほぼ初日かそれに近いうちに観ていた私が、
こんなにも禁欲的に間を置いて、ほとぼりも冷めた頃に、
新聞も雑誌も他の評論ブログも読まずに、
先入観無しで観ようとした映画も珍しい。
わけがある。もともと戦争映画は苦手なのだ。
リアルな映像というものが、本来は苦手なのだ。
だからと言ってCGを駆使した映画が大好きなわけではない。
ファンタジーやSFだけに入れ込んでいるわけではないのだが、
根本的に、戦争映画は苦手なのだ。観るけれどね。


家人は007を観たがったのだが、私は年末はというか、
年内には硫黄島と決めていたので、まあ満願成就?
今年の映画納めにふさわしい一作を持ってきました。


で、余りにも静かな映像を淡々と流し続けるので、
日本人に配慮したのか、「父親たちの星条旗」の続編の設定で
違うイメージを強調したかったのか、ちょっと悩んだ。
戦争の現実−「死者累々」を背景にした軍部の情報操作の元で
操られる羽目になる、主人公達の葛藤を描いた「星条旗」。
それに対して、「花子」に手紙を書いていた主人公。
物語の語り手としては、
やや線が細すぎるのではないかと思われる青年。


強烈な個性をアピールするのではなく、あくまでも理知的で、
アメリカを知る軍人として、家族を思う父親として、
悩みながらもその姿を兵士達に見せないようにしている、冷静な中将。
そして、お決まりの愚かしい軍人の典型。
(Shidou は私生活の不手際なまでのスキャンダルと共に、
 映像の中でも滑稽なまでに、虚しい勇み足の軍人を演じている。
 私生活でも、「役柄」からはみ出てしまっているように)


陸軍と海軍のいがみ合い、縄張り争い。
星条旗」で、衛生兵をクローズアップしていたのが伏線か。
「衛生兵を真っ先に撃て」と指示しているシーンにつながる。
物資乏しく、艦隊全滅、孤立した硫黄島を死守する意味、意義。
戦略上の重要拠点が、かくも虚しく一つのコマとして切り捨てられる。
大本営」とは何だったのか、戦争の実態、実権とは何だったのか。
感動よりも、考えさせることを意図したのか、この映画は。

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

栗林忠道 硫黄島からの手紙

栗林忠道 硫黄島からの手紙

「玉砕総指揮官」の絵手紙 (小学館文庫)

「玉砕総指揮官」の絵手紙 (小学館文庫)


父親達の星条旗」で使った映像、セット、色んなものが
上手に節約されて使い回しされているのに、嫌味な感じがない。
ひたすら静かにカメラが回されている。
観客として、漏れ聞く俳優達の個人的な生活背景を、
思わず重ねてしまうくらい、静か過ぎて
どうしても、雑念が入ってしまう。
やや集中を欠いてしまう前半、それでいて飽きさせることなく
最後までしっかり引っ張る強さ。粘り強さ。


この空虚な感じは何なのだろう。映像は美しいより寂しい。
真綿で来るんだ棘のように、静かに刺すが痛い。
なのにその痛みは、迫力に欠けている。・・・虚しさ。
残酷なシーン、痛みや匂いを伴う場面がさりげなく隠されている。
そのせいだけなのだろうか? 私には感動が来ない。
麻痺しているのか? 予想していたような思いが湧き上がらない。
全体に漂う虚しさ。これを戦争に対する感覚として表現したのか。


エピソードとして挟まれる、バロン西
そして、アメリカ人の青年とのやり取り、母親からの手紙。
翻訳された手紙の素朴な内容、田舎から兵士としてきた青年。
死を間近に控えた、ぎりぎりの前線で「鬼畜米英」が
本当は何者なのか、兵士達が愕然とする場面。


知らされていなかった、情報操作で何も知らない若者が
意図的に洗脳されたと同じ状況で、自爆に追い込まれ、
「玉砕」などという言葉で飾られ、無駄死にしている有様。
インターネット時代から見ると、余りにも滑稽すぎるくらい
他民族を非難否定する所から始まっている戦時下教育体制。
(今も似たようなことを始めている御仁がいるが)


硫黄島
今の若者が知らないその地名を、脳裏に刻んだだけでも成功?
戦った相手も死んでいった者も、生き残った者も、
みんな同じ人間ということを、しっかり感じることができる、
受け止めることができる若者が増えれば、成功?
実際の戦争は、こんなに静かなものではないけれど。 
虚無感を伝える事に関しては、成功しているか・・・。

名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録

名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録