Festina Lente2

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Perfume ある人殺しの物語

感動の涙は無かった。この話をよく映像にしたなとは思ったが。
主人公は獲得するたび喪失する。
生と引き換えに死を与え続ける。


誕生の産声は母の絞首刑、就職(人身売買)は救護院長の虐殺。
自己の存在を揺るがす体臭の持ち主との邂逅は、彼女の死。
皮なめし職人から調香師への転身は親方の事故死。
グラースへの旅立ちは、蒸留法を教えてくれた師の事故死。
自己の存在証明への香水作りは、材料となる処女の死。
体臭の無い彼が至福の香りを身に纏う時、
凄惨な愛の飽食の儀式の末、彼は抹殺される。
バッカスの秘儀の如く、
エウリディケを取り戻し損ねたオルフェウスの如く、
自己の死を持って物語は閉じられる。

映画「パフューム ある人殺しの物語」オリジナル・サウンドトラック

映画「パフューム ある人殺しの物語」オリジナル・サウンドトラック


自己を何で証明するか。存在意義を何に見出すか。
自己と非自己との境をどこに引くのか。
香り、匂いが全ての世界で生きている彼の世界の中に、
彼自身の体臭が含まれない、(又は感じることができない)
自分というものを表現しようとすればするほど、
自分が意識することなく喪失してきたものの、
無意識から立ち上るシンクロニシティ的、
報復能的展開が彼を支える。


異常なほどプラトニックな、精神的な、
禍々しいほどの崇高さをもって、冷酷無比に計画を遂行する、
高みに到達しようとする悲愴さ。
ストーカー、マニア、猟奇的な変質者、
そして最も孤独な生を強いられた者。 
匂いを持たない、香りを持たない、生身の自分の痕跡を持たない者。
そういう彼が心引かれる赤毛の女性が持つ、黄色い熟れたプラム、
母の墓に手向ける白い薔薇を持つ、青い服を着た赤毛の美少女、
主人公が絞首台に立つときの青い衣装と白いハンカチ。
          


色彩心理学的に見て、非常に良くできた構成。
血・激情・家庭・幸福・純潔・殉死・犠牲・静謐、
生、性、聖、
香りの無い画面から立ち上る香気、象徴、隠喩。
投影を招き引き寄せるメッセージに重なり響く音楽、
無限の慟哭、これだけのものを見せられて、
何故、私は泣かずに眺めている。
何故、ただ、眺めたままで居られるのだろう?


おそらく香りに導かれた愛の具現、愛を与える香りに演出される
生きることを分かち合う性の饗宴は、一時の妄想・幻想であり、
本質的なものではない禍々しさが、気に障るのだ。
不本意に、意図せず操られた感覚、感情、
実際にはありえない天国、愛の共有を具現しようとする不遜さ、
そうせねばならないほど孤独な主人公のありように、苛立つのだ。


人を殺すことで自分の死の成就に近づく、
愛と死の絶望的な裏表一体を
香りの世界で追及しようとした哀しい物語。
Perfume The story of a murderer
自己と非自己の境目を匂い、香り、香水の中に見出そうとした物語。
目に見えない一瞬の存在、気配を封じ込めようとして拡散する物語。

香水―ある人殺しの物語 (文春文庫)

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匂いのエロティシズム (集英社新書)

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