Festina Lente2

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娘からの手紙

母の日の夜、娘が手紙を持ってきた。
学校で書かされた手紙。その貧しい指導内容に
失望すると同時に、娘に対しても自分の母に対しても
私自身が駄目なんだろうなと思った。
きちんと向かい合っていないんだろうなあと、
改めて感じた。感じざるを得なかった。


娘からの手紙。予めその用紙には「お母さんありがとう」と
印刷されてある。最近の小学校はそうかよ・・・。
おまけにショートカットでTシャツの、どう見ても
お姉さんにしか見えない、20代の母親のイラスト。
白黒の花のイラストまで四隅に添えて。
パソコン画面から作ってきた、お手軽でペラペラの
小さな白いB5用紙、お仕着せ「母の日仕様」の手紙。


本当に貧しい教育だと思った。
自分で絵を描かせることも、子供自身の文字で
「ありがとう」という言葉も書かせない。
そんな小学校の教育。
クソ丁寧に印刷してある、書き込みコーナー。
「お母さんのここが好き!」と「メッセージ」
自由に子供に書かせるという発想もない、
最初から好きなところを書くように、指導か・・・。


母の日だから、形だけのイベントを子供に押し付けた。
そんな小学校の教育内容。でも、自分は子供に何をしてるか?
形だけの休日を過ごしているのではないか?
そうではないと、言い切れるのか?
自分が子供に、親守りをしてもらっているのではないか?
いかに自分が娘と離れて仕事をして帰宅が遅いか、
いかに娘を緊張させて過ごさせてきたか、
いい子の枠組みでしんどい思いをさせてきたか。


学年が変わってから、担任が変わってから、
別の学校に転校したかと思うほど、不安で苛立ちが募る。
この1ヶ月、娘は変わってしまった。
学校が楽しくないので、家でも元気がない。
私が夜遅くても、娘が元気で頑張っていられたのは、
娘なりの応援だった。でも、それも息切れしたのか、
娘自身も持たなくなってしまったのか。
それは、親の都合・期待を押し付けたせい・・・。
小学校では、図書室にばかり入り浸っている。


小学校で書いてきた、うんざりするような紙切れに
私と似ても似つかぬ若い女のイラストに吹き出しを付け
娘の字で書いてあった文章は・・・

父は空 母は大地―インディアンからの手紙

父は空 母は大地―インディアンからの手紙

「お母さんのここが好き」コーナーには、
かえってきたらおみやげをかってきてくれるところがすきです。
「メッセージ」コーナーには、
これからもずっとよろしくおねがいします。


さすがに、これだけでは愛想がないと思ったのか。
馬鹿でかいお仕着せの母親イラストから一番離れた所に、
私と自分の似顔絵が小さく並んで描かれていた。
この絵だけが私の心を和ませた。


娘の手紙は、ついつい離れていることが多い私が、
おやつや本、雑貨類を片手に帰宅していることが丸わかり。
罪悪感の裏返し、夕食を一緒に摂れない時の食後に
間に合うようにおつまみや、小学生雑誌を買って帰宅する。
そう、昔の漫画の中のサラリーマンの父のような私。


小学校2年生の娘が
「これからもずっとよろしくおねがいします」と書く?
他の子供達は「メッセージ」というカタカナの下に
いったいどんな文章を、言葉を連ねているのだろう。
それとも、こういう場だから「改まった言葉」で
書くように指導が入っているのだろうか?
娘が最初から考えて書いたのか?
どちらにしても、こんな文章を書く娘にしてしまったのは私。
7歳にして、慇懃無礼な挨拶文。
書いた本人に、悪気はないだろうが・・・。


いずれにしろ、子供は親の後姿を見ている。
私が母と、ぎくしゃくコミュニケーションしている様子。
そういうものが、刷り込まれていることもあるだろう。
何よりも、「会話」を楽しむことができない母と
自然とおしゃべりができないままの日々。
昔から連絡事項伝達中心、無駄口を利かない母。


ずっと昔、よその家から嫁いで来たおばが、
母の実家のことを「何て会話の無い静かな家庭なのか、
びっくりした」とこぼしていたが、
それは私と母との会話でも、そうだ。
叱る、注文する、命令する、クレームをつける、
用事をいいつける、できていないことを指摘する、
気に食わない、気に入らないことへの言及。
もしくは心配、気に病む、気になることへの言及。
ダブルバインドで自由を奪い、操作し、
やんわり縛りをかけてくる。
親子の会話ではなく、一方通行的な連絡事項。
無駄口を叩かずさっさと食事、直ぐ片付ける母。


同意を求め、共感を促し、目と目を合わせて笑い、
失敗しても笑い飛ばし、背中を押して励ましてくれたり、
自分の過ちを子供に対して「ごめんね」と言ったり、
落ち込んで愚痴ったりと・・・いう事は、無かった。
相方である、父親への不満や愚痴をこぼしたりしても。
落ち度を見せるのが嫌で、親の権威にこだわるのに
外に見せるへりくだった姿は、そうではなかった。


常日頃から、べたべた甘えるのは嫌いだと言い放ち、
何かに喜ぶと「馬鹿と煙突の煙は直ぐ天に昇る」と言われ、
現状維持は日進月歩の世の中から遅れることだと諭され、
私は疎外感・不全感・劣等感の塊だった。
「身体髪膚これ父母に受く」に口うるさく、昔気質。
くつろぎや安らぎから程遠く、煙たかった母。

インナーマザー―あなたを責めつづけるこころの中の「お母さん」

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“私”はなぜカウンセリングを受けたのか―「いい人、やめた!」母と娘の挑戦

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思えば、母も仕事に追われていた。
父が単身赴任の中、一人で家庭を支えていた。
今のように便利な時代ではない。
私よりは、15年早く子供を産んではいたが。
・・・そう言えば、小学校の授業参観の母の似顔絵で
眼鏡の形がおかしいと言って、怒っていたっけ。
歴史は繰り返すのかな。


「話さない母」の思いは、日々の食卓、
あつらえられた洋服、繕い物、庭の草花に
大切に大切に込められていたことに
気付かないではなかったけれど、
知らないではなかったけれど、
心の底から嫌いにはなれないとしても、
支配・規範・基準に反逆せざるを得ない、娘の私。


母のような母親には、なりたくないと思いつつ、
違う接し方ができる親になりたいと願いつつ、
いつの間にか、仕事に追われて子育てをしている私。
母のような口調で、娘を叱ることが増えた小学校。
保育園の時のように、遅くまで預かってくれて、
複数の先生方と接して、子育てアドバイスを貰うことが
絶えて無くなってしまった毎日。


信頼できなくなってきた小学校と担任と、
ますます偏屈で物忘れの増えた母との間で、
更年期の私自身も揺れに揺れる。
娘よ、かーちゃんは、どんな母親であればいいのか。
海よりも深く山よりも高く、反省・・・まで至らず、
ひたすら悩み落ち込む。
とーちゃん、君はどこにいる?
娘よ、君はこんな母に「ずっとよろしくおねがいします」か。


我が子、娘が精一杯手紙を書いてきたのだと、納得し、
心の底から感謝して、君の手紙を受け取れるほど、
母は太っ腹で肝ッ玉のある、「かーちゃん」には程遠いみたいだ。
太いことは、太いんだけれどね・・・。
残念。

小径の向こうの家―母ターシャ・テューダーの生き方

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