Festina Lente2

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今年の公孫樹

暑い長い夏が続いたせいか、今年の公孫樹はいまだ散らず。
職場でも家でも、油断をすると桜やその他の木々の
落ち葉の掃除に追われる頃だというのに、
何故か今年はまだ散らない。
ゆさゆさと、まっ黄色に色づいてそのまま。
一時寒くなったといっても、ガンと冷え込んだのは少し。
11月も終わりだというのに、師走も目の前だというのに。


木枯らし1号も遅かった。夏がやたらと長くて、
秋が短くて、半袖から合服の間が無く、急に長袖。
着込むようになって、薄手の上着の出番が少ない。
いきなり厚手のウワモノの登場では、
通勤のおしゃれも何もあったものでは無い。
季節を先取りのお洒落にこだわるわけではないが、
衣替えが年々いい加減になっていくのは、
面倒臭いばかりではなく、季節感がぼやけているから?


今年の公孫樹はすっきりした樹形に変身する前に、
いつまでも着膨れていると決め込んだようだ。
何だか不自然とも思える公孫樹並木の明るい色の下、
車を走らせていると、2年前の事が嘘のように思える。


入院中の家人を病院に残し、収入のため仕事に戻った私は、
かなり追い詰められた気分だった。
毎日病院に向かう道、公孫樹通り公孫樹並木にうんざりしていた。
木々が色づき、落葉し、尖った樹形を際立たせて、
晴れ渡った秋の空に屹立している姿が目に刺さるようで、
心を切り刻まれている気分だった。


あのころ、黄色い色を見るのは大嫌いだったし、
ただでさえ風水で黄色云々などと書かれていたり、
幸福の黄色いハンカチなんて言葉を連想して苛立ち、
神経を苛立たせるこの色が、なんで幸福なものかと
誰にもぶつけようの無い怒りを抱いて、
公孫樹並木を上目遣いに睨みながらの、病院通いだった。


葉が落ちれば落ちたで、ふかふかの落ち葉を楽しむ余裕も無く、
あっという間に寂しげな風情の佇まいに、
自分だけさっさと身軽になっていくのはずるい、
楽して、きれいに引退していくのはずるい、
銀杏を落として、足元を汚しておきながら、
上から葉を被せてて覆い隠して知らん振りしていると、
埒も無い苛々を抱えながら、病院通いだった。


公孫樹の樹に当たった所で何もなら無いのだが、
毎日目にしているものだけに、どうしようもなかったのだ。
家から車に乗るとすぐ道路には公孫樹、病院へ続く住宅街公孫樹並木。
我が家にあった1本の大木は、切られてしまって久しい。
好きなだけ植えていた木々も、手入れをする時間も体力も失く。
おまけに、何故か2年前はこの公孫樹のことしか記憶に無く。
            

他の紅葉に目をやる余裕も無く、毎日を過ごしていたらしい。
しかし、今年は一向に散る気配の無い公孫樹がありがたく見える。
潔く散らずにすったもんだしながら、色々と抱えながら、
しぶとく立っている姿に、ほんの少し親近感を抱いている。
そうだ、そんなに散り急ぐことも無い。
今年の短い秋を存分に、楽しませて欲しい。
そんな気持ちさえ抱いている。

葉っぱのフレディ―いのちの旅

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思えば随分と変わったものだ。状況の好転で、
寛解が安定して続くだけで、毎日が普通の生活、
すったもんだの生活の小波は立つものの、
嵐にもまれているのでなければ、それなりに余裕。
愚痴をこぼす元気にも恵まれて、まだ余裕。
生活からそぎ落とすものがあるという、贅沢さ。


だから、公孫樹以外の木々の紅葉にも目が行く。
別の木々の落ち葉の散り敷く様子を、
温かい目で見つめる事ができる。
他のものに目が行くという、この贅沢さを
何と例えればいいのだろう。


いまだ散らず、それもまたよし。
散り時は、天に沿うべし。
我もまた、いまだ散らず。
心の綾なる、綾錦。
時満つるまで、染まらず散らず。
それもまたよし。

星々の舟 Voyage Through Stars

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宮沢賢治のおはなし (3) やまなし/いちょうの実

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