Festina Lente2

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前向きに、薄化粧

クローズアップ現代でガンと共に生きる人のドキュメントを見た。
「がんに負けない・あきらめない」ゲストは鎌田實氏
病に負けず自分の人生を充実させている、向かい合っている姿、
とりわけフィギュアスケーターの女性の姿に感動。
ペアを組む相手が氷上でひざまずきプロポーズするシーンは、
ドラマのようで、思わず涙。娘はどうしたの? と変な顔。


30代になるかならない頃の同僚が、新婚旅行から帰ってきて受診、
乳癌で闘病生活を送り、一時仕事に復帰したものの、
転勤して別れ別れになってしばらく、不帰の客となった。
楽しいはずの新婚生活は半年と続かず、入院した彼女が、
「旅行に行く前から違和感はあったのだけれど、
どうしても二人で海外に行きたかったの。その時はね。
でも、もし、何かからだに違和感を感じたら、
すぐ診て貰ってね。私みたいになっちゃ駄目よ」と言った。
その言葉は忘れられない。ガン保険にも、即、入った。


春、桜の頃になると、その散華と共に思い出す、苦く哀しい思い出。
当時、千葉敦子の本を全て読んでいたけれど、
乳癌を初め女性特有のガンは、女性としてのアイデンティティに深く関わる。
渡辺淳一の小説にも乳房や子宮失った女性を主人公にしたものがあるが、
身近な知り合い、同僚、家族に病の人間がいれば、
そのリアリティは小説に描かれるものの比ではない。

よく死ぬことは、よく生きることだ (文春文庫)

よく死ぬことは、よく生きることだ (文春文庫)

「死への準備」日記 (文春文庫)

「死への準備」日記 (文春文庫)


誰しも病と無縁で生きて、逝く時は苦しまずにぽっくりと死にたい。
命を落とすのは事故でも自死でもなく、病に倒れるのが当たり前の世。
誰もがガンとは無縁ではない。健康ブームの世ではあるが、
体質・食生活・ストレス・ピロリ菌・喫煙・生活習慣等と、かまびすしい。
いずれにせよガンである事に変わりはなく、良性悪性、悲喜こもごも。


医療関係者は後々の訴訟を心配して、最悪の場合も想定して説明を行う。
残念ながら、そういう場合が増えてきたのだそうだ。
それが、かえって患者やその家族の不安を煽り、
不必要なストレスを抱え込ませる結果となり、一気にQOLを低下させ、
一族郎党職場も巻き込み、不幸の連鎖が始まる、という事も。
このご時勢、一般人とて知識がゼロということはないけれど、
告知を受けた精神状態で物事を冷静に受け止め、判断し、
自分自身と家族と職場への配慮を行うなど、至難の業だ。


一生の病を得た家人と共に、途方にくれている時、
最初の主治医は「調べすぎてはいけない」と言った。
詳しく知り過ぎてしんどくなってしまっては、病気に向かい合えないとも。
彼は私という人間を案じて口に出してくれたのだろう。
次の主治医からは「悲観的過ぎる」となじられた。
当初は「私の気持ちも知らないで」と怒り心頭に達したが、
何人もの病人を診て来た医師として、口に出した言葉なのだろう。


病を得てしまえば、付き合わざるを得ない。
慌てて情報や知識に翻弄される前に腰を据えて、
どんなふうに過ごし生きたいか、考える時間。
悲観的になる前に、本当にあたり一面薄墨色一色で、
暗闇だけに向かって世界が閉じているのかどうか、
自分で決める事もできずないまま、周囲から閉じられてしまっては
あんまりな世の中だと言えよう。


ガンでなくても病は怖い。病気とは見知らぬ他人。
それも害を為す他人なのだ。どう付き合えばいいのか、
無病息災では生きていけない、一病息災でもありがたいのに、
老人や病人、弱者をたらい回しにするとしか思えない理論を元に、
人を守る事を忘れた法律が経済優先で施行され、混乱を招いている。


病を得た者が、いかに病に向き合い治療・療養するかという時に
国も法律も医師も、世の中・地域社会全体が、
足を引っ張り、生きようとする事が無駄であるような扱いをする。
これからの人生が「おまけ」や「付けたし」であるかのように。
過剰な特別扱いではなく、必要な範囲での配慮が欲しい。
病を得た事を哀れみ蔑み切り捨てるのではなく、
どうすれば共にあり続ける事ができるのか、その姿勢が欲しい。


カウンセリングでの名言、「マンモスはちぎって食え」
悩み事・困難は当事者にとってはマンモスのごとき大きさ。
どこから食べればいいのか見当も付かない。
とにかくちぎらなければ、どこからかちぎらなければ。
この年度始め、ちょっと辛い事が多い時期、
こんなユーモラスな言葉を思い出しながら仕事をする。


井上ひさしの小説『握手』のルロイ修道士。
死期を悟り、それを隠して主人公と握手する修道士の手には、
額に汗して畑を作り子供たちの面倒を見てくれた力強さはない。
かつて手が痺れるほど強く握り締めてくれた彼が、
「まるで病人の手でも握るようにそっと握手」してきたことで、
主人公は何ともいえない感慨に陥る。


修道士は遺言の如く、主人公にアドバイスする。
「『困難は分割せよ』あせってはなりません。
問題を細かく割って一つ一つ 地道に片付けていくのです。」
穏やかな握手と共に去ったルロイ修道士は葉桜の終わる頃
天国へと旅立ってゆく。主人公と会ったのは桜が散る頃だったのに。
異国の地で布教し、子供の世話をし、異国の土となり、
その人生をさらりと書きとめたこの『握手』という話が好きだ。


化粧は薄化粧、心も常に薄化粧が必要だと思う。
夜来風雨の声にもかかわらず、桜は散らずに咲き残っている。
思いのほか強靭な桜の在りように、胸を打たれ、
散り敷くも一興、咲き残るも一興と名残の花を楽しむ。
窓からの桜を愛でながら、春に憂いは多々あれど、
散り敷いても残っても、その美しさを忘れない、
花に通じる生き方に、前向きな薄化粧に、
そっと手を触れる優しい握手に
ただひたすら感じ入る。
そんな春の1日。

ナイン (講談社文庫)

ナイン (講談社文庫)

モッキンポット師の後始末 (講談社文庫)

モッキンポット師の後始末 (講談社文庫)

追記(4・17)
ルロイ修道士のモデルとなった方のページです。
興味のある方はどうぞ訪れてみてください。
カナダ人のラ・サール会修道士ブラザ ー・ジュール・ベランジェについて
http://www.asahi-net.or.jp/~uy2h-trt/lsnetj/Jules/index.html