Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

万博公園でスクラッチ

エキスポ70というと、胸が熱くなるような思い出を
持っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
私も家人も小学生でしたが、明るい未来を信じて疑わなかった頃の思い出、
数々のパビリオン、世界各国の文化、大勢の人人人、
私はたった3度(そのうち一度は小学校からの遠足)でしたが、
子どもの頃のものの考え方や人生に、ちょっとした影響を与えたことは否めません。
万博、エキスポ、そんな言葉に反応してしまう私達、
娘の夏の自由研究と、私のリハビリ(運動不足解消)を兼ねて、
万博公園でスクラッチ(記念プレートのスクラッチ)することに。


実は家人がこちらに転勤して来てから、万博公園に何度か足を運んでいた。
その間に、懐かしいエキスポランドも閉鎖になり、
万博開催時一度も足を踏み入れたことのなかった日本庭園を中心に、
この大きな公園を楽しんできたつもりだったが、実際広い。
広すぎるほど広い。故に、未だ足を踏み入れていない所が沢山ある。
運動不足解消兼公園探検兼娘の自由研究を兼ねて、
万博公園記念プレートがある場所をオリエンテーリング
(誰ですか、このくそ暑い夏にしないでもいいじゃないかという人は)


字も読みにくく、人に会うのも億劫な今日この頃、
家族と過ごすのは楽しい。というか、仕事や書類上云々から離れ、
普段全くしないことをするのが楽しい。
単純作業にも似た炎天下の彷徨、かつてのパビリオン跡は何処。
昔の思い出が交錯する夏の日の午後、親子3人は地図を片手に、
改めて往時の万博、巨大プロジェクトを思い知らされることに。
何しろ行けども行けども、広大な野原や林が広がり、
こんなところに道が、花園が、岩場があったのかという、
純粋に探検気分で本日一日目。


チャレンジコース(現存するプレート全部)86箇所を回るのには、
4、5時間は必要らしい。(基本2、3時間)
これは「探そう! パビリオン記念碑」というコーナーで紹介されている。スクラッチブック完成に今日と明日を用意したが、大丈夫だろうか。
1日中歩き回る元気は無いので、2日間計画。
いざ、いざ、出発! さて、地図を片手に娘はどこから回るつもり?

1970年のこんにちは~追憶のEXPO’70~

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堺屋太一の青春と70年万博

堺屋太一の青春と70年万博



記念すべきスクラッチは日本庭園に入る入り口付近、売店の所に
一塊に集められていたもの。立ち入り禁止区域になってしまっていて、
その場所でスクラッチが出来ないからだそう。
スリランカ(セイロン)・アルジェリア・インド・オンタリオ州
エジプト(アラブ連合)・アイルランドベトナム・スイス
これらの各パビリオンの記念プレートを一気にスクラッチ


しかし、こんな風に楽にスクラッチが集められると思ったら大間違い。
各パビリオン跡地は、広大な万博記念公園のあちこちに散らばっている。
次はニュージーランドインドネシア。スクラッチは跡地を示す石碑の横。
腰をかがめ時には跪き、地面に向かって作業を続けなければならない。
解説プレートはみ易いように丁度いい位置にあり、Qコードまで付いているのだが。

  


マダガスカル・タイ・エチオピアアブダビクウェート・EC、
そう、この頃はECという言い方をしていた。
ポルトガル・フィリピン・ワシントン州・カナダ・ケベック州
サウジアラビアブリティッシュコロンビア州バチカン市国
国ばかりではなく州がパビリオンを持っていたのをすっかり忘れていた。

「全てにすばらしいケベック


物凄いテーマというか、キャッチフレーズ。
レストランもあったらしい。
万博内のレストランに入った事はとうとうなかった。
日本は世界中の食べ物・レストランが溢れていているけれど、
当時は自国を含めたエスニックフードどころか、洋食も珍しい。
スパゲティなんぞ、給食のケチャップ炒め程度しか口にした事はなかった。
ケベックと言われても、フランス語圏? 程度しか思い浮かばない。
レストランはカナダ料理というよりも、フランス料理だったのかな。


バチカン市国館のテーマは「目と手 人間の発見」
さすがに哲学的。
バチカン市国という名前を覚えたのはこの頃だったか。
後に、法王様に見(まみ)える巡礼を含め、4度も訪れることになろうとは、
小学生の私は思ってもいなかったし、入館したかどうかの記憶も定かでない。
カソリックの総本山にふさわしい形をしたパビリオン。
でも、すぐ側はこんな花が咲き乱れる場所になっていた。

  


マレーシア・スカンジナビアビルマキプロスモナコ
地理の勉強。スカンジナビアデンマークスウェーデンノルウェーの三国。
そして、このときのテーマは「産業化社会における環境の保護」。
あれから40年経っているけれど、未だに解決されていない問題。
ビルマミャンマーに変わったし、キプロスは南北に分断化、
モナコグレース・ケリーは亡くなって久しい。


モーリシャスエクアドルニカラグアコスタリカ
そして、ドニミカ・エルサルバドル
この辺になってくると、もはや草深くてスクラッチに一苦労。
一つ一つのパビリオンが小さくて、でも、それでも
はるばる東洋の島国のこの地に、自分の国のパビリオンを
出してくれたのだと思うと胸が暑くなる。
夏の日の午後、スクラッチプレートを捜し求めながら
笹の葉茂る藪を行ったり来たり、蚊に刺されながら必死の私たち。



そして、小学生の私が国名の面白さに記憶に留めたマルタ。
こんな場所に当時あったのかしら。
ブログ友達のtamayamu2さんの記事で懐かしく思い出したマルタ。
http://tamayam2.exblog.jp/11964942/
(こちらではマルタの切手が見られます)
そのマルタ館の往時の姿と記念プレートをご覧下さい。

  


そう、地面に埋められた石碑の左端に光って見える小さな金属板。
これが、パビリオンの記念プレート。スクラッチするのも大変。
でも、この草深い中余り人が来ないのか、プレートは余り磨り減ってはいない。
(人気パビリオンは、結構磨り減っていたのが今回わかった)
かつて私がこの辺りを確かに歩いて「マルタ」という国名を覚えたわけね。
娘よりも、かーちゃんの感慨ひとしおの自由研究になりそう。


アルゼンチン・オランダ・ギリシアカンボジア・ネパール・ラオス
ラオス館跡地付近は涼しげな林に変わっていました。


アフガニスタン。今はどれほど荒れ果ててしまっているのか。
内戦のイメージばかりが浮かぶ。超大国間に翻弄され、一体・・・。
RCD館? トルコ・パキスタン・イランの共同パビリオン。
ソ連。今はロシアと変貌したソ連館はユニークな形で人気だった。
40年経って冷戦はなくなったけれど、日本が戦争に負けて、
北方領土が今もロシアの元にある事は変わらない。
そう、今日は終戦(敗戦)記念日。もはや戦後ではなくても、
日本の領土はロシアに接収されたままなのだ。

 


ベルギーのあと、なかなかスクラッチする場所が見つからない。
もはや閉演時間が迫っている。ここは野鳥を観測する場所。
コロンビア・チリ・ウルグアイ・ペルー・ベネズエラパナマ
まとめてスクラッチすることになった。


ブルガリア。これは記憶にある。バラの香水を嗅がせてもらった。
民族衣装の綺麗なお姉さんがいた。香水なんぞに縁の無い年頃、
異国は花の香りの小瓶にイメージされた。
この近辺は岩を置いた広場のようになっており、
往時の様子は全くつかめない。ブルガリアのプレートには
モダンなデザインと共に「母なるバルカンの山々」とあるが、
バルカンと聞くと、きな臭いイメージが浮かぶのは世界史のせい。


ハワイ州、ブラジルここで本日は終わり。
暑い暑い8月15日が暮れようとしている。
日本が世界に誇れる国に成長した証しだった巨大プロジェクト、
エキスポ70を辿る旅、1日目。スクラッチ終了。
もしも、万博について興味を抱いた方はこちらを眺めてみてね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/日本万国博覧会
http://www.expo70.jp/expo70.html
http://www.expo70.or.jp/
http://panasonic.co.jp/history/timecapsule/index.html