Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

愛知万博会場跡地から陶磁資料館

悲喜こもごもの思い出がある愛知万博
娘を連れて家人と舅姑と、再びこの地に来ようとは。
普段大阪のエキスポ70を懐かしみ万博公園を訪れる私たち、
この愛知万博跡地も現在整備されつつある場所。
閑散としているが、これから様々な設備を整えた、
自然溢れる公園として生まれ変わっていくのだろう。


かつてはモノレールで来たが今日は車で。
あの寿司詰め電車、延々待った入場待ち、炎天下の行ったり来たりに
よくも耐えて観て回ったものだ、愛知万博
愛・地球博』という呼び名も、いまだに気恥ずかしい。
全てを観て回れたわけではない。何もかも子どもの頃の印象が
いまだに記憶を支配している大阪万博と無意識に比較するので、
馴染めないまま見学したのが、もう5年前になるとは。


巨大なパビリオンは、異国の様々な文化を見せてくれた場所は、
幻想的な夜を飾った大掛かりな演出を施したあの池は、
あの道は、・・・あのときの感動はいずこへ。
ここは現在、愛・地球博記念公園、愛称モリコロパーク
当時のマスコット、モリゾーとキッコロを合体させた名称らしい。
記念館をゆっくり見たいのだが、どうしてもお邪魔虫のせいで
いつものようにゆっくり見ることができない。園内も同様。


遊園地、その他、ちょっとした運動施設、
フィールドセンター(森の学び舎)など、娘を楽しませたいのだが、
お邪魔虫が一緒では、同じペースで見ることができない。
一つ所でゆっくりと、ということができずに
あちこち連れて歩きたがる、しかしそれは、
誰の目線を中心に今日の企画を進めるかというものに左右される。
シルバーウィークとて、その好みに従ったので、
娘には妥協点を見出すのが少々辛い本日の予定となった。


1時間に1本の(休日は2本)無料園内バスに乗り、移動。
当時こんな場所はあったのかしら? 全く知らない場所。
お茶室で抹茶を頂き一服。日本庭園が美しい。
萩の花も咲き始めている。なのに・・・なんて暑さだ。
暑さ寒さも彼岸までって言うけれど、真夏の暑さ。
30度を超える天気にばて気味の私たち。

 


気を取り直して、万博当時観ることのできなかった「サツキとメイの家
実は、今回も中を見ることは叶わなかった。というのも、
見学方法は当時のまま、2ヶ月も前から申し込み、当日券など殆ど手に入らない。
残念だけれど、展望台から外観のみ眺めおろしてさようなら。
いつになったら観る機会が訪れるかな。
そのうち娘は内部を見たいなどと思わなくなってしまうかも。
舅姑にしてみれば「昭和の家を再現」など、馬鹿馬鹿しいと一蹴だが、
世代差とアニメの影響を考えて頂かなくては。



本当はもっと園内をゆっくりしたかったのだが、
暑さに負けて陶磁資料館へ。
30周年のかわいい記念コーナーの小作品にほっこり。
冷房の効いた建物内でランチ、涼みがてら作品鑑賞・・・
と思ったら、特別展がなかなか面妖。
現代美術の「理解に苦しむ自己中心的な前衛的作品群」?に付いていけず、
自分もつくづく年を取って保守的になったなあと嘆息。
感性若いくしなやかなはずの娘も、「わけわかんない」「気持ち悪い」を
連発する作品群で、面白い以前に拒否反応。
私も同様、受け入れるのが辛いものが多かった。


美術鑑賞は刺激を与えられる、イマジネーションの世界に入る、
作品世界をなぞることによって、新鮮な感覚や逆に懐かしさゆかしさ、
自分の心を振り返らせてくれるような、癒しを感じることができる、
そういう世界だと思っていると、足元を掬われる展示内容。
「アジアの現代陶芸 新世代の交感展」は受け入れ難かった。
和むよりも苛立ちや不安を募らせる、内面の醜さや暗さを現出させる、
人を暗黒面に引きずり込む「ダースベイダー」的な雰囲気。
そういう印象を受ける作品が多かった。
皮肉や嫌悪、覚醒という衣を着た辛吟の自己主張、
いやはや、疲れましたわ。

 


ゆとりのある館内、常設展示は少々時代遅れの感、内容。
門外漢が失礼を承知で言わせて貰うならば、昔風の展示。
知的好奇心や興味を引くような「導線」を確保する展示位置、解説、
強いて言うならば、積極的に観客を引き込むような面白みに欠けていた。
余りにも閑散としていて、贅沢な空間が勿体無かった。
無論、資料館や美術館・博物館というものは、このような空間、
佇まい・居住まい・雰囲気そのものが日常生活から離脱するための、
無駄な空間、非現実的な要素を多分に備えていなければ
ならないものではあるが・・・それにしても。
某知事ならば閉館にする! 税金の無駄だ! と騒ぎ立てそうな感じ。


ああ、私の鑑賞感覚も某知事に毒されてきてしまったのか。
そんな思いを抱いてしまった。ここも広大で様々な施設、体験館がある。
本日はそういうものを利用するどころか、娘はすっかり退屈し果て、
むっつり不機嫌。やっぱり暑くても丸一日炎天下でも、
モリコロパークをうろついたり森の学び舎にいる方が、
楽しかったに決まっている。(祖父母は退屈していてもね)


さて、庭に出てみれば不思議な石像や、高圧電流の碍子(がいし)。
化学薬品を入れた陶器の巨大な壷などが野ざらしのまま展示。
それはそれで面白いと思ったのだけれど、
これまた余りに夕方の薮蚊が多くて、鑑賞どころではない。
一番若い娘が集中攻撃を浴びて、刺されまくりでおかんむり。

 


孫と出かけるというのは、孫に合わせてくれる気持ちが無いと難しい。
年端も行かぬ者は上に合わせることはなかなか。
大人と大人の付き合いではないので。
「碍子」をまとって、絶縁状態になれるものなら。
3世代で出かけるというのは、とても難しい。
本日はシルバーウィーク、シルバー連休だを言い聞かせて・・・。
お互いがお互いに不満を募らせる一触即発を感じつつ。


あれから5年。何もかも変わってしまったわけではない。
何もかも許してしまったわけでもない。
心の奥の引き出しをからくり箱の如く複雑に閉めなくては、
叫び出したくなるような衝動を抑えつつ、共に過ごす時間。
あれから5年のこの場所は、心の中に蓋をせねばならぬものを思い出させる。
その気持ち、苛立ち悲しみが、今日の場所、
現代陶磁器の展示を受け入れ難くさせたのかも知れぬ。
そんな思いに駆られてながら、真夏日の9月の日曜日。

詩ごころの旅 新吟行百選―愛・地球博メモリアル

詩ごころの旅 新吟行百選―愛・地球博メモリアル