Festina Lente2

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オセアニア展示リニューアル

オセアニアコーナーがリニューアルされた大阪の国立民族学博物館
その記念展示が本日まで。なのに、生憎の雨。
娘は用事で、のほほんと残されたとーちゃんかーちゃん。
二人で観に行くことに。本当は娘と三人で行きたかったんだけれど。
まあ、昨日一緒に出かけたんだからいいか。


昔々『コンティキ記号漂流記』に胸を熱くし、
『葦船ラー号航海記』も読み、ハイエルダールに心酔し、
(ちなみに小学生の時はスエン・ヘデェインの伝記と、
さまよえる湖ロプ・ノール湖の話が大好きだった)、
家の近所の弥生時代の遺跡発掘に憧れ、
「考古学者になりたい」と口走った中1の私は、
担任の家庭訪問で、「女に向いている仕事ではない」とけなされ、
あっさり退散した軟弱者だった。


興味関心の根本的なものは年を取っても変わらず、
ただただあちらこちらの博物館や美術館に通い倒しては、
ロマンを感じて胸が熱くなる、文学少女のなれの果ては、
熱しやすく冷めやすい単純なロマンチストというわけだ。


それはともかく、リニューアルされた展示室の入り口に置かれた船は胸を熱くさせる。
この船で外洋を渡り沖縄までやって来たのか、チェチュメニ号。
海洋博当時、ミクロネシアのサタワル島から海洋博会場まで航海をした
この船の記録映像上映会、観たかったな。残念。
スターナビゲーションを用いた伝統的な遠洋航海の解説、
聞いてみたかったな。あああ、残念。


リニューアルというと、どこがどうと言われてみれば、
・・・空間を大きく使って、見易く
分かり易くなったと言えば簡単だけれど、ちょっと寂しい。
昔のうっそうとした? 
圧倒されるような品数の展示になれているだけに、
オセアニアに限らず、アメリカやヨーロッパのコーナーも、
最初この頃の強烈な記憶や印象から抜け出せず、
何だか物足りないような気がしてしまうのだ。


単に年を取ってそう感じるだけかもしれないのだけれど。
展示の仕方が子ども向け過ぎる? ような気がして。
興味関心を引き出すためには必要な工夫なのかもしれないけれど。
今風の展示方式、方法、工夫というものは。


開館当時を知っている、開館当時遠足で来ている、
それこそ万博の頃を知っている、以前の「みんぱく」を
そんな年齢の人間があれこれ懐旧の情に浸っても
仕方がないのかもしれないけれ。
新しい展示方式の良い所もわかるのだけれど、
以前の形、以前の思いに引きずられてしまう・・・。


空間を大きく取る余裕のあるテーマ展示よりも、
迷路に迷い込んだような圧倒的な物量で、未知の世界、
異世界への入り口を作ってくれていたような、
そんな展示の頃が懐かしい。


明るい分かり易い展示を見ていると、それこそ妖怪も神獣も精霊も
隠れ潜むことが出来ない白日の下にさらされて、あけすけに、
何もかもあっけらかんと「見える」ことが要求されているようで、
そこはかとなく感じるよりも、
意図的に感じさせられることを強制されている、
そんな善意に満ちた促しが、見学の手順や工夫の中に散りばめられ、
ちょっと疎ましく感じてしまう私。


もっと自由に見せて欲しいという気持ちと、
こういう展示からこういうことがわかるのだなと納得する気持ちと、
せめぎ合いながらあちらこちら見て回ることに。


雨。昨日から天気が崩れてお湿りを貰っている大阪。
娘が出かけていない、夫婦二人取り残されて、
家人と二人だけのオセアニアリニューアル展示、見学。
帰りにおゆばに寄り、共に白髪を染めて帰宅。
せめてもの若作りをして、年の内を過ごそう。
8月は残り3分の1。
あっという間に駆け抜けていく夏。
私たちの娘が小学生最後の夏。
娘の後ろ姿を見ることが多くなった夏。

梅棹忠夫 未知への限りない情熱

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世界民族モノ図鑑

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