Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

徳島から阿南へ

仕事を一段落。遅れてチェックイン、しばし寛ぐ。
ホテルの和室というものに初めて泊まった。
思えば仕事はビジネスホテル、和室とは縁が無い。
布団が三つ敷かれた部屋、季節の掛け軸。障子。
何だか随分趣が異なる。風呂などは洋風のしつらえなのに。

  


1人特急に乗って、鈍行の汽車を追いかける。
そう、徳島は電車ではなくて汽車が走る県。
徳島駅から見る、アンパンマン列車。
懐かしい駅名、小松島・立江・羽ノ浦
いつもは車で走るので、見慣れぬ車窓からの景色にどぎまぎ。
知ってるはずの人なのに、知らない人に出会ったよう。


ああ、鉄橋が見えてくる。戦争の銃弾痕があるという。
桑野川、剣山から流れてくる阿波の八郎、那賀川
工場の煙、田んぼ、娘がお世話になった保育園、
本屋に代わってしまったもと電気屋の建物、
そして、いつの間にか2階建ての駅舎になっていた阿南駅
こんなに立派になったけれど、この時刻表は・・・。


私が仕事中、家人と娘は懐かしの阿南へ。
徒歩で海辺へ出かけられる環境は私の子ども時代に近く、
埋立て前の大阪湾を思い出させる。
だから私はこの場所が好きだった。
しかし、阿南を離れて足掛け6年、海岸は寂れていた。
水も思っていたよりも濁り、海の家も一つ潰れていたそうだ。



私は話に聞くだけで、とうとう浜辺を歩くことはできぬまま。
乳飲み子だった娘を連れて散歩したかつての浜辺、
ベビーカーを押して歩いた百合の咲くあの道、
松の梢を渡る静かな子守唄、風の音を心の中で聞いた。
この浜辺、女神を頂く淡島という地名は、
神話の世界を髣髴とさせるので気に入っていた。


娘にとっては記憶にない幼児のころの思い出を、
どれだけ反芻できたのか定かではない。
たまたま親から繰り返し聞かされた話を、
自分の思い出として仕舞い込んでいるかも知れない。
常に想い出を重ねて見てしまう親の景色とは異なり、
眼前の海は期待外れの汚れた入り江、小さな浜辺、背景の工場。
とーちゃんの写真の君は、どこを見つめているのか。


家人は久しぶりに知人を酌み交わし、珍しくご機嫌だ。
ある人は退職し、ある人は出向し、それぞれ人生は大きく変わった。
職場も離れ離れ、あるいは単身赴任し、転勤し、
この6年で私達が変わったように、人も皆、変わった。
徳島は希望に溢れた個性豊かな場所だったのに、
久しぶりに訪れてみると、なにやら少し翳りが気になる。
それは、自分自身の心を反映しているからなのか。


徳島を離れる晩に、家族でお別れ会を打ち上げた居酒屋。
そこに再び集えば、懐かしい昔話、人々の消息、仕事の想い出。
折りしも稲刈り真っ最中の阿南は、早場米の米どころ。
何故か農業談義に花開き、脱穀の話や刈り入れ時の話に。
残業続きで家に帰れず、とうとう思い余って
会社に「誰が打ちの稲刈りしてくれるんだ」と怒鳴った話。
さもありなん。
刈り入れ時を外すと米粒は痩せて来て、実入りが減る。


徳島は私達にとって、第二の故郷だ。
徳島県民でも何でもないけれど、出会い家庭を持ち、
産休・育休を過ごし、復帰し、別居結婚を続け、
仕事と家庭を切り盛りする中で、悲喜こもごもの
山あり谷ありを支えてくれたのは、徳島の風土と人柄。
その地をほんの少しかすって生活したに過ぎない転勤族だけれど、
徳島は私達にとって、第二の故郷だ。

  


想い出は尽きないが、発光ダイオードのモニュメントを見て、
かの地を後にした。引越しの前日、娘を連れてここを見に来たのだが、
真昼だったので、さっぱりも覚えていない。
無理もない、4つになるかならないかのお散歩。
夜は恋人達が集う場所にもなるそうな。
でも、今宵はかーちゃんと娘でしばし独占。
さよなら阿南、おやすみなさい。

青色発光ダイオード―日亜化学と若い技術者たちが創った

青色発光ダイオード―日亜化学と若い技術者たちが創った