Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

徹夜はこたえる

ほぼ仮眠でまかなっている。
はっきり言って徹夜が続いている。
仕事が片付かない。というか、回らない。
自分の中で回っていかない。
休日に憧れる、休養を取りたい。
しかしやりたいことが沢山あって、時間をそれに使ってしまう。
優先順位、寝ること。そんな生活をするまで、
「倒れて後(のち)病む」(止む、ではなくて)になりそう。


優先順位がうまくつけられないだけか。
あれもしたいこれもしたい、なのに、できない。
しなければならないこと以前にしたいことが多すぎるのか。
単に処理能力が落ちてきて、どうしようもないのか。
根本的にキャパ不足? 要領? 若い頃と同じように行かない。
やっつけ仕事ができない。


まず、書類を見て疲れる速度、半端じゃない。
オマケに、短期間に処理する書類の枚数が昨年からほぼ倍。
だから「手抜きしないと」と同僚は苦笑いする。
「今までと同じ密度、同じ内容では無理、
 自分が壊れてしまうわよ」と同い年の同僚は言う。
そんなことわかっている、わかっていてできない。
何処から削ればいいのか、削ってしまえば私でなくなる、
私の仕事でなくなってしまう、
私のやり方でなくなってしまう。


仕事上のアイデンティティが崩壊しそうだ。
それくらい、量と処理速度が追いつかない。
立ち時間も座る時間も、読む量も書く量も、
何もかも、吐き気を催すほど疲れる。
休むことは義務、休むことは必然だとは思うけれど、
どうしたらよいものか。


義務をこなすからこそ、対極としての概念、
「休む」ことの権利が生きてくるというが、
実際、誰が家に掃除機を掛ける? 洗濯物を分ける?
買い物? 料理を? 何もかも細かい部分を放り出して、
仕事にかまけていると? 


ああ、家の中も自分の体もパーツ、パーツが分解して
ぼろぼろになっているのがわかる。
何が自分の体を自分の状態に結び付けているか、
何が家を家らしく保っているか、
段々わからなくなるほど忙しい。
修羅場。かきいれ時? 
いやいや、こういう仕事の振り方をやめてほしい。


医師が3分間診療に追われ、毎日残業に追われ、
磨り減って行くのがよくわかる。
医療に関係なく、徹夜しないと回らない仕事なんて、
締め切り設定、自分の生活とのバランス、
どうかしている。要領よくこなせなくなってきた、
処理速度が格段に落ちて来ている。老化かな。
老眼鏡のお世話になりながら、書類の山に埋もれている。

自然音で眠りたい~入眠サポート~

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気持ち良く眠りたい

気持ち良く眠りたい


肩凝りも背部痛も、ぴったり張り付いた自分の鎧。
自由にならない体の象徴だ。
自分の体を休ませたい。
自分の心を休ませたい。
昔、勉強したとある精神療法。
何もせず寝ることを課し、そこから始まる。
これは結構難しい。

森田療法がわかる本―ありのままの自分を受け入れる

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食べる、用を足す以外に寝続ける。
その経験は入院中以外したことがない。
休む、必要十分なだけ休む。
家人に言わせれば、こんな文字を書いていないで、
寝ろよ、ばか者というところ。
でも、書かなければ自分でなくなってしまいそうな、
そんな強迫観念がある。(苦笑)


書くことはボケ防止。
(書くとは言わず、現在は打つと言うべきか)
書くことは、欲求不満解消に近い。
書くことは、精神衛生上必要?
しかし、思考の垂れ流し状態はいかんよね。
ツィッターよりはまし?


続くほぼ徹夜状態で、3日に一度は倒れるように寝る。
これなら少しずつ規則正しく睡眠を取ればいいのに、
眠ってしまうと、沢山寝すぎてできなかったことが悔やまれ、
まだあれこれできたはずなのにと悩み、
・・・昨年以上に負担が大きくなってしまった、
今年の仕事内容に対する段取りが甘いことに「歯噛み」し、
苛立ち、自分自身への甘さにもうんざりし。


読みたい本、食べたいもの、作りたい料理、買いたいもの、
しなければならないこと、したいこと、
どうして体は一つしかないのだろう、
どういて?
そんな私の仮眠はうつぶせ寝。
全くもって健康によくない。
自分で自分を破壊しつつ、生活しているようなものだ。


あ、そうか、無意識のうちに自分を壊そうとしているわけね。
でないと、休めない。長期間の休養なんて無理。
土日、単発の休養なんてだめだめ、メじゃない。
もっともっと根本的に、仕事から離れてしまいたい、
けれど離れなれない。
体を鍛えつつ、壊しつつ。


・・・精神的にも肉体的にも股裂き状態。
いかんわ・・・。
義務から逃げ出してエスケープできたら、どれだけいいか。
「最低限」で、物事を放り出せたら、どれだけいいか。
そうならないために、ここに愚痴っているのですが、
大人になればできることが増えると思っていた時代はとうに過ぎ去り、
年を取ればできないこと、付いていかないこと、やり切れないことばかりが増えてきた。


いかにものを減らすか、それが快適な生活の一歩。
いかに仕事を減らすか、欲望を、願望を、理想を削るか、
自分の体がスリムダウンできないのは、
この渦巻の中心にあって、心身ともに身動き取れないからだと
わかっていながら・・・。最も御し難きは自分。
徹夜できない。
徹夜できないのではなく、
もう、そんなに「沢山できない」ことを素直に認められない。
ここに尽きる。


やれやれ。
何もかも使用人任せ人任せで、家や家族の心配もなく、
お金や健康への憂いもなく、
あるだけ自分の時間を自由に使っていた、
とある時代、とある人々が羨ましい。
私から見た遊びと休日が日常でしかない人々が。


隣の芝生は青い。
仰向きに眠ることから始めなくては。
前のめりに倒れるのは、もう沢山。

休むに似たり

休むに似たり