Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

お気に入り? ブックマーク?

忙しくて(体力? 気力?)更新できたり、
出来なかったりの差が激しくなってきた。
基本的に日記なのでその日の出来事、思ったこと、気になること、
残しておきたいこと、少しでも忘れぬよう記録になるように、
でも、厳密な意味での出来事の羅列ではなく、
自分というものを文章にして眺めることが出来るような、
そういうものでありたいと思って悪戦苦闘して書き綴っているのだが、
これがなかなかエネルギーを食う。


美麗な文章を綴ろうというわけではないので、下書きなしに書き散らすことが殆ど。
後で見直して?! 字の間違いが多々あり、赤面の至りとなるのだが、
この恥ずかしい文章を誰に見られてしまったかと思っても後の祭り。
気がつけば直すようにはしているのだが、この所、書く気力が少々失せてきた。
まめな更新を続けている人には太刀打ちできない。
心の余裕が無いと、時間的な物理的な余裕が無いと、パソコンの前に座れない。


ネットサーフィンで漂うように流れ着き、繋がっているのは楽だ。
しかし、漂ってくるのは単なる木っ端や切れ端ではない。
生きて生身の人間の意識の末端である事を思うと、どことなく恐ろしい。
ありがたい時もあるが、どう受け止めていいのかわからない時もある。
距離感を持つのもあやふやな蜘蛛の糸の世界で、鋭敏な糸を張り巡らし、
生きるか死ぬかの死活問題で網を張っている女郎蜘蛛ではないのだが、
その網のほつれをどのように繕ったらよいものか、思案に暮れる時もある。


自分の気力・体力の問題、連日の出張、家での細々とした家事・行事。
特に私は平日家族と過ごすことが殆どないので、土日に出歩く。
集中してパソコンに向かう時間は平日になるのだが、それとても、
そうそう時間が取れるわけでもなく、いつの間にか経ってしまう時間の膨大さに、
我ながら呆れることもあるのだが、この何年かのうちに直接見(まみ)えることはなくとも、
行き来しているネット上のお宅には、愛着も尊敬も興味もあってお邪魔させて頂いている。


私の中のお気に入り、私の中のブックマーク。
様々な人のお気に入り、色んな分野へのブックマーク。
情報が欲しいのか、ただの栞代わりなのか、惰性のチェック?
少しばかり気掛かり? 何かの役に立つ? 
何を基準にこちらからあちらへ?
世界中に広がる蜘蛛の巣の上を行ったり来たり、人の思いは。

秋カフェ J-POP with a brazillian & jazzy flavor

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しかるに、自分の所に誰がどんな思いで訪れているのか、
それは、コメントを頂かないとわからない。
時々余りに理解し難い不気味なアクセスログが残っていて、
これは噂になっているロボット検索巡回なのか、
とても気になる記事があって、わざわざ調べて辿り着いたことなのか。
何か世間で話題の事柄がキーワードを手繰って引っかかっただけなのか。


この頃こんなマイナーなブログにブックマークが100を越えているので、
驚くと同時に、戸惑うこともある。
どこをどう転んでも人を励ます力強い内容でもなければ、
専門的な知識を披露する、同人の集いの場となるようなものでもない。
あくまでも個人のエッセイに近い、日記形式の電子綴り方帳。
何を思い感じて訪れて下さるのか、こちらは知るよしもない。


これを繋がっていると思えばいいのか。
さりとて、繋がっていないとも言い切れない。
顔の見えないお付き合いの向こうで、何か言いたいけれど、
意見の一つも、感想の一言も、呟いてみたいけれどと思いつつ、
書いてみたけれど筆をおく、クリックをせずに見送る、
心の中であれこれ思って、結局は表立って繋がらないでおこうと、
実際、そういう人も多いのだろうと思う。


こんな、個人的な物思いの徒然なる場に、100名を越す人がやって来る。
それは、現実の生活ではありえないこと。
普通会うことも叶わぬ地域の、彼方の、知り合う機会のない人と、
いつの間にか一言二言交わして、会釈して、目礼して通り過ぎていくが如く、
たまたま時間があって、言葉を、メモを、思いついた事を残していく。
そんな深からず浅からず、程々の関係が拙い蜘蛛の巣を震わせているのだと、
そんなふうに思って過ごしてきた。


しかし、どうしたらいいのか分からないこともある。
不思議な時もあれば、ただただ受け取るしかないこともある。
通りすがりで言葉を残してくださる方は、よほど奇特な方なのか、
一体どんな方だろうとゆかしく思ったり、
何時の日か実際にお会いしてみたいものだと憧れたり、
そんな気持ちになることはあっても、所詮は移ろいやすい仮の姿の付き合い。


手塚治虫の『ブラック・ジャック』の漫画に、文通している者同士が、
お互い会いたくはなるけれど、手紙に書いている自分と実際の自分は違うので、
どうしたらいいか悩む内容があった。
目が見えなくても手紙は書けるし、車椅子の生活でも相手にはわからない。
2次元上での付き合いは、2次元だからこそできることがあり、
2次元だからこそ出来ないこともある。
ネット上の網の上でどんなふうに歩いていけば、蜘蛛は蜘蛛たりうるのか。
自分の網に足を取られることなく、巣を広げていけるのか。


そんな事をふと思う今日この頃。
お気に入りなのか、ブックマークなのか。
誰がどんな気持ちで、更新状況を気にして下さっているのか。
大丈夫。ボツボツ更新していたら、私は元気です。
自分が誰かに思い込みでイメージを描くように、
相手もまた、そんなふうに自分自身を特別に近しく思って、
気にしたり心配したり、心の端に留めて下さっているのだろうと思うと、
直接会うことは叶わなくても、「ありがとう」を伝えておきたい。


もしかしたら、そんなネット上の付き合いから始まった、
現実にはなかなかあり得ない「お付き合い」を描いた、
そんな作品を読んだからかもしれない。
若い方向け? 障害者問題? 共生社会のあり方について?
ネットワーク社会ならではの、この物語にほんの少しだけ感情移入。


たまたま乗り合わせた、偶然の繋がりの中で出会っては別れていく。
距離をおいて微笑ましくも哀しく思いながら、
出会う人もあれば、出会ってしまう人もいる。
出会いたくないと思う人もいれば、敢えて逢わないことを選ぶ人もいる。
偶然や必然の中での逢おうという勇気や思いやりと、
逢わない自由とを秤に掛けて、もの思う秋。
現実の世界にもネットの向こうにも、
様々な世界の広がりを、はるばると思い描く今日。

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