Festina Lente2

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明治・大正・昭和の食卓

先日「日本人の食卓」という番組で、少々ショックな内容。
最近手にしていた本は偶然にも、「おばあちゃんからの聞き書き」という前書き付き、
『明治・大正・昭和の食卓』という本。
ご丁寧にも題名の後書きには「素晴らしき古き時代の知恵」とまである。


だが、お料理のレシピが書いてあるわけでも何でもなく、
あくまでも聞き書きなので、語り口調というか(方言ではない)
その場に居合わせておしゃべりを聞いているような感じで
昔語りの中に生活の話、特に食に関する話を聞くといった体裁。
北海道・東北、東京・関東、中部・東海・近畿・中国、九州・沖縄・台湾、
昔の日本の版図にのっとって、台湾が入っているのも面白いが、
とにかく大雑把なくくりで全国のおばあちゃんから話を聞いている。


しかし、おばあちゃんといっても女性の人生は様々なわけで、
おしん」のような苦労をした人から、おひい様のような人、
自分で作るよりも作って貰って大きくなった人、
転勤や結婚であちらこちらの食を覚えた人、
様々な人生を織り込んだ食の話なので、人生談義とまでは行かなくても、
行間の中に見え隠れする激動の歴史が面白く、
さらりとした語り口の中に見えてくる年月の重みが何ともいえない。


何しろ昭和生まれの私。今年は昭和85年に当たる。
この本に登場するおばあちゃんたちはほとんどが明治生まれ。
殆どに私の祖母の年代に当たるので、一緒に住んでいれば、
何かの折に触れてこんな感じで話を聞くこともあったのかと、
想像しながら楽しみつつちびちびと枕元で読んでいた本だ。


核家族で育ち、田舎といっても大阪からは遠い東北。
私が大きくなるまでは専業主婦で家にいた母、
里帰りの費用を捻出するのは大変だったろうと思う。
米や味噌を送ってもらっていたから助かっていたが、
何から何まで買っていては、なかなか貯金も難しかったろう。
残念なことに、家にいた母の料理を記憶するには、
当時の私の感性は今以上に、甚だ乏しかったといわざるを得ない。


手内職でためたお金でピアノを買ってもらい、
小学館の文学全集を揃えて貰い、
「学歴だけが財産よ」といわれて育ったものの、
大きく育って海外に雄飛するでもなく、
英才の誉れ高く仕事をこなすキャリアウーマンとなるわけでもなく
守りに終始した小さくまとまるだけの人生。
いまや、不惑で恵まれた娘の成長に一喜一憂。
なのに食生活はというと、週末のみがまともと言える手料理だ。



土日、家にいると一日中食事を作っている気がする。
楽しいことは楽しいが、それはそれで疲れる。
忙しい平日、食事を作りたいと思っていても、
その時間帯がなかなか取れず、いい加減な毎日。
せっかく買った食材を無駄にしてしまうことも。
その繰り返しの中であっという間に時間が経ち、
来年は娘の干支を迎える。


ああ、娘の記憶に残るような食事を日々どれだけ作っていられることか。
週末のおさんどんの姿だけが普通の母親で、
平日の夜は転寝、冬になれば炬燵に生息する居汚い生物、
炬燵猫というようなかわいらしいものではなく、
ただただ疲れて横になっているだけの母親の姿を見て、
思春期を迎えた娘はどのように思っていることか。


そんな鬱々とした気分を、少々ほっこりと、なだめるように、
(実際自分に話しかけられているわけでも何でもなく、
 一方的に聞き語りを読んでいるにも拘らず)
年配の、年上の、先輩の話す食生活、
明治・大正・昭和の懐かしい食卓に、自分の思い出、
本や童話の中で読んだ食事、様々な風習・慣習、
戦争や農家の暮らしを垣間見てあれこれ思う。


インターネットが発達してリアルタイムで海外の情報も、
調べればお料理のレシピも、何でも手に入る今だけれど、
戦争に明け暮れた日本の歴史を生き抜いてきたおばあちゃんたちは、
夫に従い、それこそ正常不穏な満州や台湾へ。
今の海外赴任の一部の方々のように、お手伝いさん付きの生活。
おさんどんせずに恵まれた食生活を経験した人もいる。


逆にお屋敷奉公で仕込まれてという話もあれば、
海外で日本料理を披露、料理教室を作った人も。
様々な境遇の人の話が玉石混交で入り混じり、
下手なワイドショーよりも面白い聞き書きでまとめられた本。
祖母とは料理の話などできるはずもなかった。
生きている間に、何度会ったというのだろう。
電話で話すことも稀、遠く隔たって暮らしていると、
それなりに気兼ねして、向こうからこちらに掛けてくることもなく。


糖尿を患い半身不随となった祖母は、自分で台所に立てなくなり、
晩年までの10年以上を寝たきりで過ごした。
跡取り長男の叔父夫婦の苦労は並大抵でなかったろう。
しかし、助けに行くこともできないのが実情。
嫁に出た長女の母は、再就職した仕事を休むことできず、
私たちの子育てと家庭生活の維持に追われ、
孫の顔を見て安心したのか、耄碌してしまった。


実の親からも食の知識を仕込まれず、また覚えようともせず、
のほほんと育ってしまった総領の甚六は、適当な拙い手料理を、
美味しい美味しいと食べてくれる娘を育てただけだ。
本当の美味しい料理とはどういうものか、
ちゃんとした家庭料理とはどういうものか、
私の理想のイメージからは程遠い内容で日々を過ごしている。


毎日はパパパ料理。短時間で一汁一菜よりは豪華な程度。
味噌汁は・・・、汁物は具沢山で野菜たっぷり。
後はお肉かお魚、たんぱく質。酢の物、香の物、
ご飯を食べる口直し、そして果物類のデザート。
これができれば上等。なかなかここまで辿り付かないのが現状。
プールのお迎えの帰り、すきっ腹の娘と疲れきったかーちゃんは、
ファーストフードで一服することは珍しくない。
ひどい時は居酒屋メニューで急場しのぎ。


よほど定時に上がれる時はしっかり夕食を作るのだが、
TVを見ながら食べ直しというのも珍しくない。
最近の塾は5時過ぎから9時まであって、その間の休憩、
7時ごろに夕食の弁当タイムがあり、その弁当も仕出し、
つまり塾でお取り寄せのところが当たり前だそうだ。
同僚から聞いた話しにビックリしたものの、
そういうところに子供を入れて働かざるを得ないのが現状なのか、
勉強させるためには家庭での夕食は消えていくのか、
頭の痛い現実が横たわる。


娘は塾には行っていない。ピアノと水泳だけ。
音楽の好きな子に、体の丈夫な子に、そして本の好きな子に。
その条件は満たしたが、親が子供に与えている食生活は、
果たしてどの程度のものか。
忸怩たる思いを抱きながら、核家族の共稼ぎの家に育ち、
今また、単身赴任の家に娘を育て、
適当いい加減な食生活を何とかせねばと思うだけで、
日々があっという間に過ぎていく中、
目にも心にも眩しい懐かしい昔の食卓の話を、
しんみり読んでいる、11月、霜月の半ば。

美食倶楽部―谷崎潤一郎大正作品集 (ちくま文庫)

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