Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

総統府・故宮・淡水へ

(写真は全て大きくなります)

台湾で迎える初めての朝。バイキング料理はどちらかというと、
ホテルの日本人観光客が多いのを見越してか、
台湾風のものは少なく、あれ? と少しばかり物足りない。
冷や奴や梅干しまで老いてあるんだもの。
でも、サラダコーナーに肉デンブがあるのが嬉しい。
小学生の頃、父親が台湾土産に買ってきてくれた、
橙色の缶の中に入っていた乾燥肉のでんぶ、子供心に忘れられない味。
御飯におかゆに、パンにのっけても美味しかった。
そんな想い出に浸りながら朝食を済ませ、土産物屋を冷やかしつつ、
用意万端整えて恩師の到着を待つ。


   

  

  


しかし、予定時間を30分過ぎても現れず、焦る焦る。
買ったばかりのケータイ、海外仕様に設定すれど通じず、どうしたものか。
思案に暮れること1時間、運悪く事故に遭遇したという恩師、突然現る。
ほぼ30年ぶりにまみえるお姿は、さすがに老いを感じさせたが、
ライフスタイルというか、全身から感じる気迫というか雰囲気が、
かつてと変わらず、心の中で唸ってしまう。
還暦を迎えたとか。おお、ドラゴンイヤーの人だったのね。


    


大学時代、日本文学を学ぶ、それも上代文学などかじる人間は少なく、
若い先生はただでさえ少ない、平均年齢の高い大学教師陣の中で、
若き学者はモテモテでありましたが、あれから四半世紀以上。
お互い若さよりも重ねてきた年輪を「黙して推し量るべし」の立場に。
それにしてもお懐かしやと感慨に浸る間もなく、
家人の「総督府に行きたい」で、動くことに。
申し訳ない、立てて頂いたプランをのっけから根こそぎ。


  


身分チェック、身体チェックを受けて総督府(総統府)へ。
政権(為政者)が変わると、展示内容ががらりと変わってしまったという、
そんな裏話を小耳に挟みながら、流暢に日本語と英語を操る、
これまたご高齢なガイドの説明に耳を傾け、
かつての台湾、その後の台湾、現在を大ざっぱに。
私たちはともかく、娘には何のことやら辛かったろう。
大人の旅行に子どもを巻き込むと、こういう場合が辛い。
かといって、子ども向けに旅行するつもりもないのだが。


    

    

  


昼食で一服するうち、娘も恩師に次第に慣れてくる。
黒タピオカのジュースと格闘した後、タクシーで故宮博物院へ。
念願叶って・・・といいたい所だが、想像していた場所とはかなり違った。
近代的な建物の中で、多くの人が見られるように配慮してのことだろうが、
戦争中に貴重な文物を守り隠すため、このような高台に・・・というのは納得。
世界中から観光客が集まり、団体写真なぞ撮っている。
1時間遅れスタート観光と悠長にランチした分、せっかくの故宮での貴重な時間が・・・。


    

  

   


見事な白菜の玉も、肉塊に見える奇石も、
どこをどうやって掘り込んだのかわからない象牙の玉も、
ありとあらゆる芸術の粋が目から雪崩れ込んでくる刺激が心地よい。
されど疲労困憊の体に輪を掛けたのは、館内の涼しさとギャップ、
3月の日本とギャップ著しい外気温、この蒸し暑さ。
台湾は冷房施設はあれど、暖房の無い町なのだそう。
 

    

  

   


徹夜明けで移動してきた疲れがピークに達している、2日目の昼下がり。
恩師に学んだ友人たちへの土産を買い込み、次の目的地に向かう途中、
タクシーの中に、全て買ったばかりのものを忘れるという失態。
ああ、ボケボケの昼下がり。白昼どっと疲れいや増す中、
淡水の景色はのんびりと穏やかに広がっていた。


    

  

   


ああ、外国人居留地の異国情緒。台湾のベニスの異名を取る淡水
一瞬欧州に来たかと見まごう町、いわゆる神戸のような雰囲気。
歴史的な背景を説明してくれているのはありがたいが、あちこちに誤植?
まあ、日本の有名な観光地も人件費を浮かせるためといって、
自動翻訳機に任せた英文を、確認もせず印刷したかHPに載せたらしいから、
同病相哀れむの世界、観光掲示物と思えばいいのかもしれないが。


    

  

  


それにしても、当時を忍ばせる部屋のしつらえ、調度品に目を奪われる。
娘も夢中になってカメラで撮影。わかるわかる、その気持ち。
やっと海外に来たなあって気分になるよね。
普段はもっと人が多いらしいが、今日はそれほどではないと恩師の弁。
川と海と、両方の恵みを受けてさぞかしおいしい名物も多かろう。
美しい建物を眺めながら、早くも空腹な私。


    

    

  

  


しかし、一度撮りだすと、なかなかシャッターを切る手が止まらない私たち。
故宮のような美術館の中では写真は取れないし、景色だけでも収めておこうと、
(買った土産物を失くしてしまった私は、むやみに写真を撮り続けてしまったような)
写真に凝りたくても腕の無い自分としては、『下手な鉄砲も数打ちゃ当たる』式で、
取り捲っている浅はかさ。でも、せっかくだから載せておこう。
  
  
  

  

  

   

そうだ、本当ならは時間があれば、元気ならば、台湾よりももっと遠くへ
もっと遠くへ、大好きな欧州へ行ってしまいたかったんだ。
新婚旅行よりもずっと以前、あちらこちら歩き回った街を、
ワインやビールを飲んだ、修道院に泊まった、巡礼ツアーにも参加した、
ミュージカルに通い詰めた、異国での日々、通りすがりの日々、
四半世紀以上前のお気楽な、それでいて思い詰めていた、
日常からの脱出、帰還、脱出、帰還の繰り返しだった日々を懐かしみ・・・。
 

    

  

  

  


そんなことを考えながら、今まで見た世界とは別世界の街中の迷路を
駅・海岸方面に下っていく。そう、駅からこの建物がある所まで
上りの道をタクシーで来たばかりに、旅行中の土産物を忘れるという、
人生でしたことのない失敗をやらかしたのだ。
くよくよしても仕方がないと割り切って、
東インド会社の関係者や宣教師が行き来しただろう町並みを
海岸沿いに下って早めの夕食というか、おやつというか、軽く小腹を満たして休憩。
暮れ行く海辺の夜風も心地よく、台北中心部に戻るのも惜しい気持ち。
このままゆっくり夜風に吹かれていたいなあ。


  


イカのジュース、苺飴。恩師は小学生の娘に気遣って、
あれやこれやと屋台の食べ物を勧めてくれる。
こともあろう家人は歩く臭豆腐と化し、寄ってくれるなの臭いを発散。
傍目にはおじいちゃんと親子3人の家族旅行のように見えるのだろうか。
しかし、年配の恩師の健脚振りには驚かされる。
もっとも、日本から知り合いが来るたびに同じようなコースを案内、
歩きなれているのだろうか。


    

  


いえいえ、職場の大学まで毎日片道30分はたっぷり歩いているそうで、
日頃からの鍛え方が違っているのでした。
軟弱教え子は満身創痍というか、一病息災ならぬガタついた身。
娘と恩師が一番元気に、そぞろ歩く台湾の夜。
本格的な台湾料理に舌鼓、お茶の店に案内され、てんこ盛りの丸一日。
夜は更けて、リュックに飲みきれなかった紹興酒を忍ばせて、
足早に立ち去る恩師の姿を呆然と見送る私たち。
台湾2日目の夜。長い長い一日でござりました。

旅名人ブックス109 九分・淡水・桃園と台北近郊

旅名人ブックス109 九分・淡水・桃園と台北近郊

台湾 (ブルーガイド わがまま歩き)

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