Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

契丹展と慶沢園

(写真はすべて大きくなります)
午前中、娘の部活動の関係で市内の私立中学へ出向く。
かつて40年ほど前、英語の暗唱大会で出かけた場所だが、
当時の建物は残っているのかどうか、定かではない。
普通であれば、建て替えているだろうが…。
そんな思いで小さな池や季節の紫陽花、創立者の胸像など眺めやる。


  

 


家人はその頃趣味の鉄ちゃん業務、天王寺界隈の路面電車を写し、
ご満悦だったようだ。残り少ない大阪での日々を予感していたかのように、
市内を精力的に歩き回っている私たち、そんな感じ。


    

  


天王寺公園にて待ち合わせ午後、念願の契丹展に出向く。
何しろ今日が最終日、逃したら見る機会はない。
久しぶりの大阪市立美術館。丹念に見て回っていると、
昨日久しぶりに再会したばかりの大学時代の友人が、
兵庫県からはるばる出向いてきている。
何という偶然。


    


やはり、契丹展。人気があったばかりではなく、
昨日のプチ同窓会の余韻もあってか、不思議な巡り合わせ。
詳しく話し合うこともできないまま、右に左に分かれたが、
古い友人のここ一年ばかりの消息を知って日が浅いだけに、
何ともやるせない思いにも。


  


契丹の王族の墓や仏教寺院の遺跡などの新発見、
それは世界史を学んで、まだ詳しくわからない国に思いを馳せた、
若いころのわくわく感を蘇らせてくれる。
特に墳墓の発掘は考古学ではタイムカプセルを意味する。
きらびやかな装飾の船、魂を運び、遺体を守る船が、
逝く人の最後の家である彩色木棺。



「草原の王朝 契丹 − 美しき3人のプリンセス」と題した放送もあったとのこと。
見逃したからには図録でじっくり楽しもう。
最終日の恩恵でポスターも貰えたことだし。
そして、日の長い6月の午後のこととて、家人を美術館の隣、
慶沢園に誘って、そぞろ歩くことにした。


    

  


ここは知る人ぞ知る名園で、天王寺公園の子供向きの庭ではなく、
本格的な造園、それも住友本家の茶臼山本邸の庭として、
10年の歳月を掛けて創られた林泉回遊式の近代日本庭園だ。
1908年(明治41年)から名匠小川治兵衛により作庭ということだが、
驚いたことにこの庭園は美術館を作ることを条件に、広大な敷地、
茶臼山を含む2500坪と共に大阪府に寄付された。


    

    

    

  


皐月の花、菖蒲と水面に生えて緑鮮やかなこの季節、
のんびりと四阿(あずまや)で一服しながらぐるりと池を一周、
天王寺界隈のビルを逆さに移した景色も面白く、
閉園までの小一時間をここでゆるりと過ごした。


    

    

    

  


隣接する天王寺公園は、タイ・フェスティバルなどで時々訪れていたが、
わざわざ遊びに来るほどでもなく、とうとう奥にある植物園にも行かず仕舞いで、
保育園や小学校から何度も天王寺動物園に行っている娘と、
二人で講演や動物園を見ることもなく来てしまった。
家人と慶沢園を見るのもこれが初めてとは、考えてみると勿体ない話だ。


    

  


バラや動物の形の植え込みもかわいい天王寺公園の庭も、美術館や慶沢園同様閉園時間。
すいている公園を通り抜けて、帰途につく。
緑が少ない大阪には珍しい庭園で心潤して、水無月は三分の一を過ぎた。


星の草原に帰らん

星の草原に帰らん

契丹伝奇集 (河出文庫)

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