Festina Lente2

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絵本雑感

沢山の絵本 子ども達 ちょっと絵本付いている
1月は故あって絵本を沢山見る機会に恵まれた。
普段絵本を手に取らなくなったので、一気読みに近い。
娘が小さい頃は(字も読めなかった頃は)さすがに絵本を読んだが、
大きくなってから、特に字を覚えてからは読み聞かせなどしたことがない。
本当は親が読んで聞かせるのは大事だということは重々承知だが、
自分の経験からも出来なかったし、余りしなかったという方が正しい。
(時間に追われていた、というのは言い訳かな)


Gallop! (Scanimation)

Gallop! (Scanimation)


文字を覚えるのが早かった私は、「ひかりにくに」絵本を自分で読んでいた。
寝っ転がって座って、一人で、玄関先で、居間で、
あらゆる場所で読んでいたと思う。
要は絵本を持ってウロウロしていた。
何かを書き込んだり、破いたり、そんな記憶はない。
記憶に残る限り、幼稚園に行く以前から絵本は宝物だった。


おじいさんと10ぴきのおばけ (ひかりのくに傑作絵本集)

おじいさんと10ぴきのおばけ (ひかりのくに傑作絵本集)


幼稚園でも絵本は大好きだったが、読み聞かせの時間は、
一列に椅子に座ったり、床に座ったり、
大人しく聞かなければならなかったので、退屈だった。
とても贅沢な話だが、幼稚園の先生が読んでくれる
「読み聞かせ」は、私にとっては面白くも楽しくもなかった。
いやはや、今となっては申し訳ないが実際そうだった。
ゆっくり読み聞かせを聞いている時間、もう話のストーリーを知っている、
或いは早くその先を読みたくて仕方がないのに、
じっと待っていなくてはならない、それが出来ない子どもだった。


かちかちやま (日本傑作絵本シリーズ)

かちかちやま (日本傑作絵本シリーズ)


自分が娘を授かって、あちらこちらの図書館で読み聞かせのお話会に参加。
それが大人の自分にとって、面白く楽しい時間だったのに、
子どもの頃はどうしてあんなに退屈だったのだろう。
自分の読むスピードではなくて、勝手に話が進むのも嫌だった。
気に入った頁はじっと眺め続ける。
絵を得心が行くまでいつまでも眺め続ける子どもだった。
次の頁に進んでも、また戻る。
先の頁まで進んでも、また戻る。


うみひこやまひこ (復刊・日本の名作絵本8)

うみひこやまひこ (復刊・日本の名作絵本8)


頁と頁の繋がりを確認するように読む。眺める。浸る。
そう言う読み方をする子どもだったので、
絵のある絵本は流れるように、一定方向に進んでいく読み方が出来なかった。
読み聞かせは「一定方向に進んでいく」ものなので、
その決められた読み方に従うことは、なかなか出来ない子どもだった。
絵本に関して非常にこだわりの強い子どもだった。
多分その頃既に「自分なりの読み方」が出来ていたのかも知れない。
大人になってから、ではなく、子どもの頃から
「みんなと一緒に何かする」ことが苦手で、
ひたすら自分の世界に浸っていることが好きな子どもだったのだ。


かぐやひめ (復刊・日本の名作絵本2)

かぐやひめ (復刊・日本の名作絵本2)


長じて長編の物語が読めるようになると、
つまり余計な挿絵が少ない、読み物、本格的な読書に近付いてくると、
たまに出てくる挿絵は、それはそれで楽しいものだった。
今流行の『レ・ミゼラブル』のコゼットが大きな箒を抱えている姿も、
その他の有名な物語の挿絵も、良心的な編集で私の読書のバイブルとも言うべき
小学館 少年少女世界の名作文学』の50巻ので知った。



余程編集者は沢山のものを盛り込みたかったのだろう。
装丁も実に凝った見事なものだった。
初版本や外国の挿絵を盛り込み、各国の文学史の解説付き、
題名や小見出しの上には当時の風物を小カットで、
扉には各国の名画(巻末解説付き)、読書指導があって、
カバーはその国の風物をカラーでという豪華絢爛な内容。



小学校のうちに自然に地理も各国の歴史も、有名な作家・画家、風物も、
自然に頭に入っていたので、すり込まれた挿絵教育と、
物語や文学史は一生ものになったと行って過言ではない。
しっかり箱に入っていたので本の傷みも少ない。
その箱もステンドグラスの天使像が描かれた格調の高い、
否が応でも異国の国に憧れを抱かせるような絵があった。
私は箱だけ眺めてずっと過ごすことがあったくらいだ。
全50巻はいまだに大切に手元にあるが、
残念ながらギリシアローマ神話のカバーだけがない。
幼い私が読み込み過ぎて、破いて紛失したらしい。



絵本の良さ、読書の大切さは心の世界を広げることにある。
読み聞かせブームは、その裾野を広げるために必要かも知れない。
ブックトークやファーストブック、プレゼント等、
啓蒙活動に華やかなりし絵本業界。
私が知らない絵本も多すぎて、どれを読んだらいいのか分からない、
定番が定番でなくなりつつあるといってもいいくらい、
絵本があふれかえっている。そして、お高い。


おおきなかぶ

おおきなかぶ


図書館には本当にお世話になった。
娘に絵本を読んで聞かせることが出来たのは、
借りて読むことが出来たからだ。
昔のように、1ヶ月に1冊ずつ、
ひかりのくに」から届いた絵本を繰り返し、
ためつすがめつ眺めて、読み続けるという読み方、
数冊の絵本を舐めるように大切に読むというような読み方を、
娘は知らずに育ってしまったが。


かばくんのいちにち (かばくん・くらしのえほん)

かばくんのいちにち (かばくん・くらしのえほん)


読み聞かせ会も、絵本も、普通の本も溢れている。
おまけに電子書籍まで。(我が家には無いが)
今しばらくは紙の絵本だろう。魔法の箱が欲しいのではなく、
本の質感、頁をめくるだけではなく、
一気に飛んで、とばし読みをして、好きな所だけ拾う、
その楽しさ、その読み方を知っている人間には、
便利さだけに囚われた感の強い、電子書籍は抵抗が強い。
まさか、「絵本は紙」で残るとは思うけれど。
たとえ未来が必要に迫られて、
ほかの本がペーパーレスに押されていったとしても。


ゆうたはともだち (ゆうたくんちのいばりいぬ)

ゆうたはともだち (ゆうたくんちのいばりいぬ)


絵本は、本の世界は自分の体の一部になって、
飲み込まれて噛み砕かれて、どこかに再生されていく。
その時、何だか電子部品が組み込まれていくのだろう未来、
それは、自分の一部ではなくて、
失われていく体の機能を保障する何かにはなるかも知れないが、
本の思い出を繕うものであって欲しくないと感じている。
特に絵本は、電子ブックでイラストを拡大縮小、
自由自在に観るのも良かろうが、そんな読み方、鑑賞の仕方は、
どうなのだろう、必要なのだろうか。
ヴァーチャル・ミュージアム化する必要があるのだろうか。



まどから おくりもの (五味太郎・しかけ絵本(3))

まどから おくりもの (五味太郎・しかけ絵本(3))


多くの絵本に接する機会のあった1月。この1ヶ月。
飛び出す絵本など楽しみながら、それぞれの人の心に残る絵本は、
どんなものなのだろうと、ふと立ち止まって考える。
沢山のものから好きなものを選ぶのか、
選ぶ必要もなく多くを持ったままなのか、
余りにも沢山の絵本がある贅沢な今の時代。
「自分のものに出来る」本は限られていると思うのだが。


  

  


あそびにおいでよ そらまめくん (たのしいしかけえほん)

あそびにおいでよ そらまめくん (たのしいしかけえほん)