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最終戦争シリーズ

土曜日が日曜日だと思い込んでいた9月2日。
昼も夜も作って食べられるのが嬉しい。
娘も喜んでくれた。ちょっとした料理ばかりだというのに。
久し振りにスパゲティなど作ってみただけだというのに。
(働いているからといって、平日はきちんと作ってあげられず、
 御免よ、娘、育ち盛りの毎日だったのに)


夜は鶏肉と野菜とニョッキ。(ノンアル)ビールが美味しい。
午前中は久し振りに近所の和服リフォームフリマで散財。
仕事場でも華やかに見せないと、気持ちを上げるには外見から、
気分転換にお洒落も必要と、安上がりでお値打ちな服を着て、
自分なりにモチベーションを上げて職場に向かっていたが、
もう、仕事に関係無く、自分のために服を着よう。


そして、昨夜から私は漫画ばかり読んでいる。10代、20代と
大好きだった漫画家の一人、山田ミネコの代表作、
終戦争シリーズの文庫本セットを古本屋で見つけて、
大人買いしてしまったからだ。

最終戦争シリーズ (1) 冬の円盤

最終戦争シリーズ (1) 冬の円盤

古本で・・・、そう、新刊で買ったコミックスは箱詰めにして倉庫、
物置の何処にあるのかわからない。あるのは確かだが。
山田ミネコの最終戦争シリーズの文庫本全巻セット、
見つけた瞬間しばし迷ったが、散財。
どうせ、仕事に行かない、老眼で細かい字も見えない、
集中力が持たず、読んだり書いたりがただでさえしんどい、
自分を持て余している日々のど真ん中。


病気のせいか、その影響なのか、毎日頭痛が酷い。
どうしたって、まともに読書などできない、できていないこの数年。
1度読んだことのある、見覚えのある、古巣にも似た、
ハードルの高くない読書、気分転換ばかりに逃げている、
そのやましさを否むことはできないけれど、
やはり、懐かしいものは懐かしい、このシリーズ。


しかし、昔のように猛スピードで読み耽る、
そんなふうに読み返すことはできなかった。
ただただ懐かしい40年ほど前の、若かりし頃のSFに浸る。
当時は自分の未来を信じる強さがあったけれど、
今はデーヴァダッタ(死者か瀕死の者に取り付く異種生命体、
他者の生命エネルギーを吸い取って生きる)になりたい。


それぐらい邪悪でも、自分の愛する者のために犠牲になっても
生きることを諦めない、そんな強い者になりたい。
世の中で生き抜くためには、それぐらいのタフさが無いと、
やっていけないのだと思いながら、漫画文庫本の山に埋もれて、
非生産的な時間を過ごす。


定年前、自分の人生が実り豊かなものになるように、
少しずつ耕して進んでいくものだと信じて疑わなかった、若かりし頃。
嫌なことがあっても辛いことがあっても、目標に向かって、
自分なりに納得できる、そんな1つの終わりに向かって、
着実に歩いていくのだと思っていた若かりし頃。
「死にたい」は「生きたい」の裏返しだと、前向きに考えていた頃。


終戦争に行きつく前に、自分はとっくに壊れていた、
年老いていた、エネルギーを失っていた。
若さも気力も体力も失って、生気を失っている自分は、
とっくに人生を失いかけている、デーヴァダッタが見向きもしない、
そんな存在になり果てている。
(デーヴァダッタは若くて綺麗な女性を自分の宿主とする)


老いも若きも全ての人間を抱え込んで生きようとする、
清濁併せ呑む強さ、そんな強さを自分が持っていたら、
耳を覆いたくなるようなことを聞き流す術を、
打たれ強さを、何度も繰り返される禍事を跳ね返す強さを、
イケズ意地悪皮肉中傷のごった煮で茹でられても、
釜茹での五右衛門の如く涼しい顔をしていれば、
・・・考えれば考えるほど、腸が煮えくり返るような怒りが湧いてくる。


現実の世界では戦争は起きない。(世界は知らないが)
私の生きる狭い世界では、私が前線を撤退して、
心疲れて仕事を休むことになった、職場から距離を置いた、
それだけのこと。
咳も出ず、熱も出ず、蕁麻疹も出ず、心穏やかな日々を、
取り戻しつつあるということ。


そして、私は知っている。
自分にとっての最終戦争は、恐らく復職後の世界、
惨憺たる世界に戻っていかなければならない時。
もしくは、老親の差し掛けてくれている日傘雨傘を失い、
自分だけが自分の家族を守る稼ぎ手になること。
戦う相手は家族の数よりも遙かに多い。
状況は、決して明るくないことを。


そんなふうに考え、現実と夢うつつの間を行ったり来たり。
現実は甘くない。だから、最終戦争の話を読むのは昔と異なり、
辛く哀しい。もう、夢見る未来の時間を大方失った者にとっては。
(9/22)

最終戦争シリーズ (9) 黄泉の向こう岸

最終戦争シリーズ (9) 黄泉の向こう岸