Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

ピノキオと青い髪の仙女様

さて、元気よく始まった3学期といいたい所です。
実際の所、・・・娘を見ていると不安ではあります。


そんな今日のBSは『ハイジ』、(この映画については後ほど)
昨日のBSの映画では実写版の『ピノキオ』
そう、『ライフ・イズ・ビューティフル』のロベルト・ベニーニが主人公役。
かわいらしいディズニーのピノキオとは一風異なる、
けっこうトウの立ったおじさんのピノキオ。
リアルな肉体を持つピノキオ。原作に忠実なピノキオ。
といっても、子どもの頃読んだ本の中の世界からは掛け離れた、
ベニーニ版のピノキオであることには違いない。


冬休みの宿題を見たり、新学期の始業式や学期末の終業式、
ピアノの御稽古がある日の今日、娘を見ていると、
なかなか決められたことができない、忘れものだらけの様子、
子供らしいといえば子供らしい、なかなか・・・な様子に、
ある時はため息をつきながら、ある時は怒り心頭に達して、
ある時は叱らざるを得ないここ一番で、吹き荒れ・・・。
バトルが増えてきたのではないかと思える、日々。


 


ピノキオ』の作品の見方が、すっかり変わってしまっている自分に気が付いた。
そう、ご想像通り、私は既に子ども役を演じることができない立場にいるわけで。
ピノキオならぬ、生身の人間とはいえ、なかなか言う事を聞かない
もちろん生身故に、別の人格を持つが故に、親の言うことなど意に介さぬ、
(時にはちゃんとしていることもあるけれど)娘の存在。
木の人形だろうが、人間だろうが「子ども」であることには違いないわけで。


いやあ、もう、本のちょっとしか姿をあらわさない青い髪の仙女様に、
すっかり感情移入してしまいました。
(ちなみにワープロって、「せんにょ」をすぐに変換できない。
 「せんにん」は変換できても)

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何だか、昔々は要領の悪いピノキオの失敗に笑ったり、
気の毒がったり、馬鹿にしたり、はらはらしたりと、
ピノキオと同列にいる子ども仲間の視点から見ていた世界が、
仙女様の視点から、というか立場から見てしまう。
やさいい言葉を掛けても大事にしても、諭しても、
ちっとも言う事を聞かずに、何度も同じ失敗を繰り返すピノキオ。


人間のお母さんと違うのは、仙女様(映画のアテレコでは妖精さんと言っているが、
私は昔読んだ作品の仙女様の言い方の方が好き)は、魔法が仕えて、
この世のものとは思えぬほど美しいことだ。
立場としては、期待しては裏切られ、心寂しく虚しい気持ちになる。
やるせないかーちゃんの心境にさせられる、そんな役。


浜の真砂は尽きるとも、いや、教育の世界は寄せては帰す浜辺の波、
寄せては返しの繰り返しで、尽きること無い「繰り返し」の連続。
その忍耐と気力が無ければ、人を育てることなどできやしないのだと
昔々聞いたことがあったけれど・・・。
映画の2時間弱どころか、毎日続く子育て。
例え成人したとしても、100%離れ離れになることはないご縁の世界。


親が何と言おうと子供が譲らない部分がある事を、
親にとっての娘である私自身は知っている。
同じ事を娘にされるだろう。
わかっていても、闘い続けねばならぬ部分、
妥協できる部分、最初から分かち合っている部分、
いろんな部分があるだろうけれど、最終的に子どもは親を裏切り、
がっかりと落胆させ、予想通りに行かない結果を何度も見せ付ける形で、
違う人生を歩んでいくものだと思う。


何もかも親の期待通りに生きている人間が殆どならば、
世の中の憂い哀しみ軋轢、様々な揉め事は大半が雲散霧消するだろうから。
いつまでも幾つになっても、寄せ手は返す波の如く、
親の気持ちを受け入れるようで受け入れない、岩の角が取れて丸くなったようで、
頑として岩であり続けるように、最初から丸い石でもなければ、
滑らかなすべすべの、光沢のある状態で存在するはずもない、子ども。


親の欲目、期待、望み、願い、様々なものを背負って青息吐息になりそうな、
子ども。まあ、普段は目に見えない空気を背負っているようなものだから、
ちょっと気が付かないけれど、愛情の裏返しはけっこう重くて、
無重力で空を飛べる、身軽な、楽勝の世界ではない。先日も、
フワフワ漂う人間にどうやって重りを付ければいいか、悩んだ。
それくらい、吾が子だろうが他人の子だろうが、子どもという者は計り知れない。
どこへどんなふうに成長して飛んで行ってしまう風船なのか、
そんな感じのするものだ。


残念なことに嘘をついても鼻は伸びない。まあ、何となくわかるけれど、
時には騙され、時には見抜き、時には知らない振りをしながらちくちく注意し、
いずれにせよ、子どもは嘘をつく。嘘をつきながら成長もする。
上手に嘘をついて、人を傷つけない場合もあれば、
利己的な嘘で防衛・攻撃する事を覚え、如何ともし難くなる場合も。
よしんばよし、嘘をつかなければ、貝の様にむっつり無口になり、
何も言わない、言い出さない、口を利かないと手段に出る。


 


仙女様ではないので、青い髪を持っているわけではない。
かーちゃんの頭は既にヘアマニキュアでを染めている。
人間は年を取る動物なのだ。青々とした、未熟なまでの青春、
不老という若さ、いつまでも諦めない青年の志、
そういうものを持ち続けることはできない。
青息吐息でばてばてになり、どうにかこうにか上ってきた坂を、
あっという間に転がり落ちて心身ともに節々痛む、
そんな老い方をするのが珍しくない動物だ。


だから、世間ではアンチエイジング。長き老後の青春化。
思春期ならぬ思秋期。壮年思秋期、熟年思春期なんて言ったりする。
壮年思春期、熟年思秋期でも変わりゃあしないけれど。
タフで元気に明るく年を取りたくても、その前に、
まず今は、かーちゃんとしての私は、「子育てありき」。
仕事だけに専念と言えればいいが、ありえない。


そういう時に、青い髪の仙女様の尽きること無い優しさ、慈愛。
諦めることなき成長を信じる強さ、無尽蔵の慈しみ深き愛を、
自分には到底叶わぬ深い思いを、・・・親の恩を思い知る。
自分の親には叶わないと思いつつ、
半ば恨み怒り哀しいことには変わりなく、
いい年下大人になってみても「未解決の問題」は付いて回るなあ。
祟るなあと思いつつ、自分はどうなのよと情けなくなる。


ねえ、ピノキオ。木なら成長もしない代わりに年も取らない。
学校へ行って賢くなって、そしてどうする?
ロバの代わりに力仕事をして、牛乳を稼ぐ。
悪い子がいい子になって、魔法の力で世界が変わる。
そんな結末は、現実世界には待っていないから。
本当に、人間の子どもになったら、どうする?
これからどうする?


仙女様のキスでいい子になった結果、人間になれて学校に行き・・・
そんなピノキオの本質は変わったのだろうか、それとも。
相変わらず三角帽子をかぶったままのピノキオの影法師は、
笑いながら逃げていく。学校や人間社会の規範から、
遠く離れて走っていく。


それを見ながら笑いながら、でも心にちくりと痛い棘。
ピノキオ、そして貴方の影は自由に走っていく。
みんな人間はそうしたいと思っていても、できないままで生きている。
ねえ、ピノキオ。母になれば、お母さんになれば、
何度裏切られ続けても、騙されても、嘘を付かれて欺かれても、
親子の縁は切れないよ。


ねえ、ピノキオ。
ねえ、娘よ。
かーちゃんは、青い髪の仙女様にはなれない。
そして、私の母もそう思って深く傷つきながら、
私を見つめた日々があったのか。
想像してみる。
私の母が私をピノキオだと思ったことはなかったか。
そして、深々とため息をついたことはなかったか。
・・・。ああ。


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今日(1/9)偶然、
こういう記事を見つけて、写真の姿に娘を重ねた。
かーちゃんは、胸が痛い。そして切ない。
がんばらなくっちゃを、繰り返しながら。

http://sculturo.exblog.jp/9162726/


クオーレ (平凡社ライブラリー)

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心を抱きしめると子育てが変わる

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