Festina Lente2

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出張納め

本年度最後の出張・研修となる。
今までを振り返り、実践的なワークショップを行い、
新しい企画の概要を分かち合うという内容。
間接的とはいえ大先輩が講義しており、
今年で定年という含みもあって、集大成的な話をされていた。
今まで疑問に思っていたことは、誰もがそう感じていながら、
メスを入れられることなく放置されてきた。
それが再確認される形で話は進む。


理論的な外堀、外観、通史的な把握。
それを今更と思うか、頭の中が整理されて助かると受け止めるか。
普段の業務に取り紛れて一から改めて把握することなく、
どうにかこうにか形を取り繕ってやって来て、
時々誰かがまとめてくれて、やっと立ち止まって気が付く。
そんなことがよくある。


ワークショップ。いつでもこの人の話は理路整然としていて、
なおかつ実践的で即実用的。時間短縮を余儀なくされた講義時間、
あっという間に過ぎて行き勿体無いと思うくらい、面白く為になる。
こういう形で授業をすれば、どんな生徒も食いついてくるだろう、
そんなタイプの分かりやすい体験型講義。
最後は何度かであっているはずなのに、赤の他人の空にだったかと思える人。
企画は統計上の資料を裏打ちを元に、練り上げ形の構成で披露され、
誰もが現状を納得した上でこの企画が必要だという意識に持って行こうと。


でも、改めて眺め渡してみれば、今更それをしても?
アリバイ作りのための客寄せパンダ企画?
どうしてもそんな風に思ってしまう私は悲観派?
例えて言うならば、1500人飢えている。
各地にあるのに当地には無い「お助け小屋」を作る。
すると10人は救えるようになる。
そんな話の内容なのだ。
100人ではなく、10人の為にシステムを全て変えて専門職を置く?
そうか、1匹の羊の為に99匹を置いていく?
嘘だろ。

障害のある子どもの教育相談マニュアル

障害のある子どもの教育相談マニュアル

DVDで見る教育相談の実際

DVDで見る教育相談の実際



それは企業経営を承認するために、幾つもの支店が潰され統廃合、
人員配置も当然他の部署に影響。
ある意味、その施設を作ることで責任を転嫁し、
他の部署はトライアンドエラーのチャレンジを放棄して、
お助け小屋に何もかもなすりつけようとはしないか?
目に見えない形で新たな研修施設を作って実験する、
そんな気がしてならない。


その実験結果が出る頃には私は定年退職だ。
そんな場所の捨て駒になるのはどうかな?
それとも持ち駒は何でもやらされて当たり前?
いつから私は駒にされたよ? 
いつから私たちは手駒にされたよ?
静かな苛立ちが体の奥から湧いてくる。


有意義な話、有益な内容・講義・ワークショップ、
未来への展望・新たな構想・試み。
それを目の前に散らつかされると、ビッグウエーブに乗ったような、
そんな気持ちになるのは確かだ、が、しかし。
上の者が下を組織的に働かせるときの洗脳的な手法には飽き飽きしている。


犠牲にされたのは、私たちの実質的な生活基盤だというのに?
必要以上に軽く扱われ、時間と自由を奪われ、一方的に評価され、
これ以上人の目を気にして? それは作業、ノルマ、義務?
何を冒険しろと? 積極的に動けと? 働けと?
私たちから本来のイノベーションを奪って、
予定調和的な価値を押し付けてくるのは誰だと?


研修としては有意義、個人的には後味の悪い内容。
もちろん見た目には成功裡に終わったと思う。
しかし、必要以上にチェックし些細な揚げ足を取り、
本質的な部分でのまとめ、擁護、確認、共有がなされたわけではない。
形式的なアンケート、通り一遍の駄目だし、
ブレーキを掛けることはあっても、アクセルは踏まない。
首に縄を付けられることはあっても、放し飼いは無い。
それをまざまざと意識させられる今日。
これにて2010年12月、出張納め。
お疲れ様自分。
どんどん皮肉屋になっていくようで、嫌だね。

図で理解する生徒指導・教育相談

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生徒指導と教育相談:父性・母性の両面を生かす生徒指導力

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