Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

クロスロードゲームで学ぶ

色んな研修や勉強会に出ていると、そのメンバーの中で固定した閉塞感、
煽られるような洗脳的な役割意識とない交ぜになった商業主義、
お役所仕事的なマニュアル処理の一環としての強制参加、
そういう流れに浮いている自分にうんざりさせられる。
なので、普段の自分なら関わらないような勉強もありかなと、
今回はるばる2時間余り掛けてやって来ました、とある町。
まさか、阪急電車が途中で遅れて延着とは思わなかった。
お陰で開始時感に遅刻すると思ってタクシーまで使っちゃったよ。
予定外の出費。それはさておき・・・。


きちんと一つの組織の中で系統立ったことが出来ないたちなのだろうか。
それとも単に飽きっぽいだけなのだろうか。
今までやって来たことに満足できない、それは確かにあるけれど、
今日やってみることに何の意味があるのか、それはまだわからない。
とにかくじっとしているよりも、動いてみないとわからないし・・・。
そんな思いで出かけてきている。
自分だってずっと仕事を続けてきているのに、何かに取り組んで集中している、
その中心になって動くということに対する一種の嫌悪感、やりきれなさがぬぐえない。
この年になっても本当にしたいことが無いのかと、呆れつつ。


そう、自分の臆病さ加減、幾ばくかの責任感の欠如、覇気の無さ、
常に心をちくちくさせる逃避願望が、「そぐわない」「場違いな」自分を意識させる。
でも、来てしまったからにはどんなことが行われるのか見聞きだけはしておこう。
でも、こういう勉強会ってどうして男性はいないの? 何故女性ばかり?
サバイバーの集まりでも何でもないはずなのに。変なの。
とにかく早速体験してみよう、クロスロードゲーム
やっぱりふるさとの震災に関連するから? 宮城県人2世としては気になる?
そういう問題じゃなくて、災害対応ゲームってどんなことするの?
阪神・淡路大震災をきっかけとして防災教育のために作られた、
参加者同士で意見を 交わすカードゲーム。ふうん。


ということで、問題を目の前にどのように行動するか。
自分の意見を出す・・・のではなくて、あらかじめ用意された内容に対し、
エスかノーか、カードで意思表明。多数派になればポイント。青の座布団。
唯一の少数派になれば、金の座布団。全部で何問? 今日は12問するのか。
長考は出来ない。勘かな? 好みの問題? 倫理観? 決断力?
何が影響するのか、自分自身の心の動きを判断しかねるが、まあとにかく、
自分の意見を優先させるゲームではないようだ。能率良く処理、というか、
色んな意見は多々あれど、この場合どうするのが妥当だと思われるか、
多数にまとめて物事を迅速に処理しないと、後が滞るわけだよね。
そうか、我は出せない訳か。なるほど、わかった。では・・・。

防災ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション―クロスロードへの招待

防災ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション―クロスロードへの招待

クロスロード・ネクスト―続:ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション

クロスロード・ネクスト―続:ゲームで学ぶリスク・コミュニケーション


金の座布団は狙おうにも少数派なので、今後の参考・意見としては貴重だが、
ことを処理する上ではどうか。そう思うと、自分は多数派に回って動かねばならない。
そんな風に考えてしまう、自分の行動特性を改めて意識する。
地の私はどちらかというと少数派だと思うのだが、長年携わってきた仕事では、
そういう「ワガママ」は許されない。大義名分がないと、成立しないと、
会議は通らない、人は説得できない、予算は取りにくい、物事を動かしにくい。
そんなこんなで本意ならずとも動いてきたことが「習い性」となっていたのか、
金の座布団は一枚も取らなかったが、(取れなかったのではないと思う)
青い座布団11枚。つまり、全ての設問において多数派を回答。


参加者の中でこういう行動を取ったのは、こともあろうか私一人だけだった。
あれあれ、まずったかなあ。ちょっと、まずい?
自分を出さずに殺し続けているような、或いはお役所仕事に徹したような、
妙な後味の悪さが残る。うーん、こういう結果になるとはね。
「自分としては」ということにこだわりながらも、流されて生きてきた、
仕事してきた結果がこれかなあ・・・。
そんな風にかんがえてしまうと、ちょっと落ち込む。


みんなゲームを楽しんで「金の座布団」を狙っている人もいるようで、
周囲がこう出てくるに決まっているから、私はこれ! みたいな動きを意識する、
そういう人もいたようだ。大穴狙った気分で、達成感が得られるんだろうな。
自分がやりたいことを貫けるなら、言うことないし。
ああ、周囲を見回して大抵の場合によかれと思って判断したことが、
実際どう受け止められるかわかったもんじゃないのが「現場」なのだが、
そういう自分の「ぶれていないようでぶれそうな」意識、やらされている感覚、
しなければ行けないからするけれど、本当はしたくないという感覚、
それが顕著に反映されている結果の11枚の青い座布団、なのかしらん?


信念無く行動しているのかな。多数派であろうとしているということは。
その場を納めるにはまずまずだけれど、冒険は出来ない、一発逆転も狙えない。
自分のやりたいことをやり抜くのではないから、達成感も得られない。
淡々と義務を果たす、処理する、やり過ごし嵐が過ぎるのを待つ。
そのことだけに汲々としているイメージが沸いてきてしまい、落ち込む。
自分の世界が狭く融通が利かなく、小さくまとまっているような、
そんな感じがして何だかなあ、私って。そんな気持ちに。


休憩の後、美味しいお菓子とお茶を頂きながら、現場の話。
このゲームの開発者を知る人の裏話。
ちょっとした和やかなティータイムと交流会に、寛ぐ。
さて、この場にいる私は違和感は感じないようだ。
大丈夫、ちゃんとやれるよね・・・。いても大丈夫だよね。
そんなふうに自問自答しながら、その場で過ごす。
何しろこういう勉強会は顔見知りやグループ参加が多い。
だから、「初めて」参加する人間には、ある程度の緊張感が伴う。
幸い、どこかで見た知っている顔を別のテーブルに見つけたが。


人生はいつだって分かれ道。二つに一つ。何本道があろうとも、
結局は何かを瞬時に選んでいる。今日、ここに来たということも。
それで何が得られるか、自分にははっきりと答えられない。
でも、今のままでいては停滞してしまう。
何か新しいことを学ばなければ、そんな危機感だけは常にある。
優柔不断でいつまでもこだわる、後を引く、未練たらしい自分。
そこには、多数派であればともかく、やりたいことのために少数派であろうと、
突っ張って来た自分のトラウマが見え隠れしているのだろうか。


それほど意志強固に生きてこられているわけではないのに、
結果としてそうなっていた部分があったとしても、
それを望んでいたかもしれないけれど、
少数派であること、理解されないこと、受け入れられないことに対する、
根強いトラウマが常に幼い頃からの体験を通して、
仮想問題を目の前にしても、多数派を演じることを、
良識や常識、倫理観や共通認識に属する者であることを、
その衣、鎧を纏っていることを前面に出そうとしてしまうのだろうか。


駅まで歩く帰り道、気が付けばバラの季節になっていたんだね。
徒歩でゆっくり歩いてみれば、季節は動いているのを実感。
そんなことさえ忘れ果て、日々仕事に追われていたんだと哀しくなる。
ああ、週末、自主研修、自主勉強会の午後。
昨日のプチ歓送迎会の残念無念さが尾を引いていたのだが、
それは今日、どんな風に影響したか。


明日は明日の風が吹く、そうはわかっていても、小心者の私は、
何でもかんでも入っている重いバッグを引きずりながら、
歩いているのだろうか。

アクションリサーチ―実践する人間科学

アクションリサーチ―実践する人間科学

防災・減災の人間科学―いのちを支える、現場に寄り添う (ワードマップ)

防災・減災の人間科学―いのちを支える、現場に寄り添う (ワードマップ)